27.潤い
 嫌いな書類仕事が溜まりに溜まっていた。こういうものは、溜めるほどに面倒になるからいけない。うんざりしながら、アイシュの小言を流していたのだが、セイリオス自ら苦言を呈しに来て、見張りをつけると脅される始末。大事にするのもあほらしく、シオンが渋々と机に向かったのが朝のこと。しかし、片付けても片付けても書類の山が減る様子はない。更には、片付けている最中にも増えていく。
 午後にはぐったりしながら、シオンは日常のツケを払っていた。仏頂面のシオンには、女官達も近づこうとしない。かけらも潤いのない部屋だ。いつもは面倒に思うこともない紅茶を淹れる作業すらも億劫で、やる気のない文字でサインを綴っていく。
 そのとき、コンコン、と軽いノックの音が響いた。どうせまた仕事が増えるんだろうなぁ、と思いながら、いい加減に返事をする。
「なんだぁ?」
「レオニスです。先日の報告の件で参りました」
 必要最低限の言葉が、低く返る。いい加減耳に馴染んだ声だ。
「開いてるよ」
 なんとなくほっとして、意識せず声の棘が抜けた。
「失礼します」
 折り目正しく腰を折る姿がちらと視界の端に映る。
「珍しいですね」
「なにがだ?」
 近づく気配に顔を上げれば、レオニスが珍しく口の端だけで笑うような微かな笑みを浮かべていた。
「あなたが、昼間から真面目にデスクワークですか」
「……俺だってなぁ、必要な時には片付けてる」
 たまに笑うかと思えば、そんな話でか。苦々しく見やれば、レオニスはもういつもの無表情で、持参してきた書類を確認している。
「そのようですね」
 とはいえ、最近シオンへの応対は少しは柔らかくなったかなぁという気がする。シオンが魔導士として王宮内にいる限り崩れることなどないだろうと思われた堅物モードが、こうして仕事中であっても稀に少しだけ崩してくれるようになった。進歩には違いないが、微々たるものだ。
「なーんてな。見張りつけるって脅されてさー」
 ケラケラと笑えば、レオニスは呆れたような顔でもうそのことには言及しなかった。
「……先日の戦闘の報告書になります。ご確認をお願いします」
 国境での小競り合いに、魔導士と騎士団が合同して任に当たった件での報告だった。
「わかった。目を通して俺から直接渡しておく」
「よろしくお願いします」
「なんだよ、もう行くのか?」
 頭を下げてさっさと退出しそうな気配に、慌てて立ち上がる。
「珍しくあなたが仕事をしているのに、邪魔をしたら殿下に叱られます」
 苦笑しながらレオニスは、実に素っ気なく踵を返す。
執務室…?
「おい、ちょっと待てって」
 ぐい、と首から下がるペンダントに手をかけた。力じゃ到底レオニスに敵いっこないが、それを引けば止まるのはわかっている。細い紐が切れるより前に、レオニスは止まる。彼を抑止するに十分たる価値を持った物だ。嫌がられそうなことをしている自覚はあったが、咄嗟に触れてしまったら止めずにはいられなかった。
「もうちょっと、ゆっくりしてけよ」
「仕事中でしょう」
 完全に呆れた眼差しにめげず、シオンは訴えた。
「朝からメシも食ってないんだ。ちょっとぐらいいいだろ。俺に潤いくれたって」
 あまりに素っ気ないから癪に障って、ペンダントを引いたせいで近づかざるをえないレオニスに口づけた。
「……栄養にはなりません」
 触れただけのキスに驚いた様子も見せず、レオニスは変わらない口調でそんなことを云う。
「ほんっとに冷たいなぁ。だいたいさー、妬けるじゃないか」
 思わせぶりにペンダントを撫でれば、何をさしての言葉かを理解したらしいレオニスは呆れたようにシオンを見つめ返した。
「なにを、今更、」
 わかっていることを、と続く言葉を聴きたくなくて、遮るように口を開いた。
「15年も経ってなお、……お前を縛ってる」
 行動すら抑止するほどに。
「!」
 目を見開いて、まじまじとレオニスはシオンを見つめてくる。意外な言葉だったのだろう。
「いつまでも俺は、――敵わないんだろうな」
 レオニスの心は、まだ縛られている。まだまだ、彼は過去を見ている。シオンは、レオニスを引き止める言葉ひとつ咄嗟に出てこない。自身の何を引き換えにしても、彼の意志を翻すなんてことは到底できないだろう。何か策を弄さねば、きっと捉まえられない。
「あーあ、切ないねぇ」
 レオニスは、まだ遠い。わかっていた事実を改めて突きつけられたようで、へこむ。元より簡単な相手でないことは承知の上だったとはいえ、距離なんて少しも縮まっていないんじゃないかと思えてしまう。
 冗談めかしてぼやく。ここで真剣に詰っても始まらないことだ。余裕の仮面をつけるのには慣れている。苦笑しながらペンダントを放せば、レオニスは真意を汲み取ったのか少しだけすまなそうに視線を伏せた。
「…………。」
 レオニスは何か云いかけて、結局口を閉ざした。ここで謝ればいっそうシオンを傷つけるとでも思ったのだろう。表情を見ていればそれぐらいはわかる。まぁ、少しは気にかけていてくれるんだろう、と自分を慰めて、シオンは助け舟を出すように話を切り替えた。
「なぁ、アンタは昼食べたの?」
「いえ、まだですが」
「じゃ、一緒に食ってけよ。どうせ一人じゃ昼抜きか食べたとしたってロクなもの食べないだろ」
「そんなことは、」
「ないって云い切れるか? 姫さんからも聞いてるぜ〜?」
 否定しかけたレオニスに畳み掛けるように告げる。
「……自分のことなど、つまらない話です」
「また、なんですぐそーゆーこというかなぁ。とにかく昼飯ぐらい付き合ってくれたっていいだろ。YES、と云わなきゃここから出さないぜ?」
 曲がりなりにも好きな相手の趣向の話がつまらない、なんてことはありえないのに。それをどう説明しても届かなそうで、シオンはひとまず説明を諦めて、わかりやすくランチの相手を強要することにしたのだった。
「……脅してどうするんですか」
「美味いお茶淹れてやるから、付き合え」
「……わかりました」
 引く気配のないシオンに根負けしたように、レオニスは頷いた。
「じゃ、休憩にしようか!」
 にこやかに笑うシオンに、休みたかっただけなんだろう、とレオニスの目が疑わしげな光線を投げかけてくるのをさらりと無視して、シオンはティーポットを取りに立ち上がるのだった。

ENDE.



2004.12.06 天羽りんと
 シオンが香りのよいお茶でレオニスげっとー!と呟いたかどうかは知りません(笑)。
 さて、この話は遅ればせながら颯城さんへのお誕生日プレゼントということで、いつも私にたくさんの萌えを下さる颯城さんに捧げます。>ヤヲイ小説ですけども〜! 切腹!
 返却、書き直し可デス(笑)。
 途中もっとシリアス泥沼になりかけて、やめました(苦笑)。
 でもでも、シオンってばいつになく健気さんですよね(笑)。それでも自分の我儘通すとこがシオンだな〜