41.偶然と必然
   
 噂は七十五日。まして、彼に纏わる華やかな噂は常に絶えない。
 宮廷一の遊び人として名高い魔導士と、クライン初の女性騎士が、恋に落ちた、と。
 ここ一ヶ月は、そういう噂を聞いた。
 ──が。
「私のこと、好きになって?」
「好きだって言ってるんだろう」
 噂の本人が、あっちこっちの女官といちゃついている宮廷の風物詩はいつものように。
 そして、噂のもう片方のシルフィスが、王女に呼ばれて、タイミングよくその修羅場を通り過ぎたのに、顔色一つ変えず。
 ──『あの』シオンが恋に落ちた噂はやはりガセだな、と囁かれていた。


「もうー、頭に来たのですわっっシオンの浮気者っっ」
 シルフィスが仕えているクラインの第二王女であり、シルフィスの親友でもあったディアーナは、怒鳴りながらシオンの執務室に入った。
 ディアーナはシオンとシルフィスの付き合いが、ただの噂ではないことを知っている。
 だが、シオンの女性絡みの素行が全然直っていないのも本当で。
 何しろ、例の女官に当てられた部屋はちょうどシオンの執務室とディアーナの私室の通り道にあった。
 あまり自分の私室にじっとしていないディアーナでさえ、シオンがちょっかいを出しに来たのを見かけたのは一度や二度ではない。
 護衛するために、自分の私室に通っているシルフィスに見られたことも…きっとある。
 そしてそんなシオンにシルフィスは何故、文句一つ言わないのか。
 恋に限らず一途なシルフィス、それもおそらく初恋の相手に何故よりによってシオンを選んだのか。
 シルフィスにもっとふさわしい相手なんて絶対どこかにいるのに。


 だから、シオンに何も言わないシルフィスの代わりに怒鳴りに来たけど。
 ──何故かシオンの執務室に、シルフィス本人がのんびりとお茶をしていた。
「姫様、落ち着いてください。」
 ……慰めようとした相手に諌められた。
 一瞬絶句したディアーナをシオンは邪険そうな目で睨んだ。
「おいおい、姫さん。せっかくの恋人とのデートを邪魔しないでくれる?」
「…デ…デートですって?」
「ええ。そうです。今日の午後の休みを許してくださったでしょう。シオン様と花市へ行く約束なので。」
 今はお茶を飲みながら、シオン様の仕事が終わるのを待っています、と楽しそうにシルフィスが続けた。
「行くのは、俺はきちんと今日の執務を片づけてから、と誰かさんに釘を刺されてね。」
 恨めしそうにシオンが言った。
「セイルの奴、わざとややこしい事務ばかり回してくれたおかげで、後30分くらいはかかりそうだぞ。」
 それでも一日分の仕事を半日で終わらせる手腕は流石で。
「仕事はきちんと終わらせてから、の約束です。サボったりしたら、今日の約束はなかったことにしますけど。」
「…うぅ…お前、段々セイルと似てきてない?」
 文句をいいながら、それでも手をゆるめないシオン。小さい頃から知っているディアーナでも、こんな健気なシオンをついぞ見たことがなかった。
「やはり殿下とシオンの付き合いの長さは伊達じゃないですから。いろいろと勉強させていただいてます。シオン様の扱い方は、日々精進を心に掛けたもので。」
 一撃だけでシオンの惨敗が決まった。
 どうみたってこれはいわゆるシオンの『惚れた弱み』しか見えない。
「…んで、姫さん、そろそろ出てくれないか。例え仕事が終わってなくても、俺は今日の午後くらい、二人っきりでいたいんもので。」
 軽い口調なのに、あっちこっち浮き名を流し続けているのに、今のシオンのお願いはどうしてこうも真剣に見えるのか。
「…申し訳ありません。よろしくお願いします。」
 申しわけなさそうに──それでも、心底からの願いだとわかる親友の頼みを、ディアーナは拒むことができなかった。



 女たらしの所がやはり直らなくても、シルフィスの頼みなら、嫌々ながらちゃんと守っているシオンの姿を見て、少しは、シオンを見直したほうがよろしいのかしら、とディアーナが殊勝に考えたのに。
 何故か翌日、さっそくこういう場面にぶつかるのか。ディアーナは両手を拳に握りしめながら心の中で呪った。
 しかも、運悪くシルフィスが一緒にいるのでは、簡単に爆発するわけにもいかない。
 その資格があるのは、ディアーナではなく、シルフィスなのだから。
「シオン様、今日はこの前、シオン様が欲しがっていた薔薇の種が手に入りましたわ。」
「おお、悪いな。助かるぜ。」
「待って、好きだって言ってくれないと渡しませんよ。」
「好きだよ」
 シオンは、即答した。シルフィスの目の前で。
「うーん、やはりだーめー。愛してるって言って」
「愛してる」
 笑いながら愛を語るのは、ほとんど女性への挨拶代わりのシオンだった。声を低くして、より魅惑に女官の耳元に呟いた。 
「愛してる、これでどう?」
 とてもじゃないが、続きを聞けなくなったディアーナはわなわなと怒りに震えていた。
「姫様、もう行かないと次の授業に遅れますよ。」
 道中で固まったディアーナを諌めるシルフィスの声はいつもと変わらなかった。ディアーナは恐る恐る側を見やったが、シルフィスは平然な表情をしている。
 廊下の昼メロは続いていた。
 もしかしたら、あの女官はシオンとシルフィスの噂を聞いたのかもしれない。
 そして、だからこそ、シルフィスがいる目の前に、噂の真実さを確かめたくて、こういう行動に出たのかもしれない。
「じゃ、シオン様の心を、私に頂戴」
 愛の言葉に赤くなった女官の顔は期待に満ちていた。
「よろこんで…」
 なるべく早めにこの場から離れたくなったディアーナはシルフィスの背中を押しながら、振り返らずに歩き出した。できれば走って行きたかったのだけど、この後の授業が教養でさえなければ、そして、その教養の先生が廊下を走っているディアーナを見て、宿題を倍に増やす性格をしてさえいなければ。
 耳を塞いでいなかったからシオンの声は後ろから聞こえる。
「…と、いいたかったけど、悪い。それ、俺、今持ってないから。」
 はっきりと意志を込めた声に、ディアーナは思わず振り返った。
 シオンは腰を折って、女官の右手を自分の口元にもって口付けた。
「だから、ごめんな。」
 軽い口調は相変わらず、宮廷一の女たらしは笑顔のままで。
 ──しかし、目は笑っていなかった。
 凍り付けた女官の手から薔薇の種を受け取って、シオンは一度もシルフィスの方向を振り向かないまま、自分の執務室に帰った。



「珍しい断り方ですね。」
「昼間のあれか?」
 嫌そうに、シオンは答えた。わざとシルフィスに見せたつもりも、聞かせたつもりもないし、できれば聞かれたくなかったのが実情だ。シオンは自分を晒すことに慣れていない。
「シオン様なら、もっとスマートな付き合いができそうなのに。」
「俺だってそう思ってるんだぜ。」
 二股なんて当たり前。若くて美しい女性達に囲まれて、皆から愛されながら、それでも主導権はずっと自分の手に握っている。
 愛は刹那で広くて。皆に公平で。
 自分には、そういう手軽く、大人の付き合いの方がお似合いだし、そのほうが楽しかった、本当は。
「だけど、嘘はついてなかったぜ。」
 恋に落ちる相手を自分が選ぶのなら……自分で選べるのなら、シルフィスを選ばなかった。
「なんて好き好んで、わざわざややこしい相手を選べなきゃならないわけ。」
 こめかみを押さえながら落ち込む。未だに、これはシオンの悩みの種なのだ。
 シルフィスが相手ではそんな恋ができない。耳元で愛をつぶやいて、夜に愛を交して、翌日にさよならなんてできやしない。そんな簡単な口説き方では落ちてくれないし、そう簡単に心を許してはくれない。
 縛るのも縛られるのも大嫌いなのに。自由を愛して実家に勘当されてもせいせいしたとしか思えない性格をしているくせに。何がどうやってこうなっていたのか、自分でもよくわからない。
「シオン様の心を、謹んでお預かりします。」
 困ったように、生真面目にシルフィスは答えた。
「……ですが、返しすべがありません。」
 何しろ預ける方だって、いつ、どうして、どうやって預けたのかわからないくらいだったから、預けられる方だって返す仕方なんてわかりやしない。
「いらないさ。」
 シオンは苦笑した。元より、自分の所から勝手に離れたものを追う性分ではない。
「その代わり、お前の心を貰い受けたい。」
「それは困ります。」
 シルフィスが微笑んだ。
「持っていないものは差し上げられません。」
 シルフィスも、自分で選ぶことができたら、女性よりも、男性になっただろう。
 クライン初の女性騎士──そういう特例が作られなかったら、故郷に帰されるはずだった。
 一族の期待を裏切りたくなかったし──シオンの側にいたかった。

 だから、今のように、お互いに心を預けたままになったのは、
──個人レベルの意志がどうにもできないほどの、偶然であり、必然だった。



End.


2005.1.1  残
自分で書いといてなんですけど、シオンって結婚式当日、新郎の友人含む参席している全員から「考え直すなら今のうちだぞ」と新婦が忠告されてしまうタイプですね。うわー本当にこんなシオンでいいの?シルフィス(笑)