3.扉
王宮のような煌びやかさはない。
けれど、この廊下をシオンは美しいと思う。
機能に重きを置かれ、飾りは無いが綺麗に磨かれている。
騎士や見習いによってのものだろうか。
その様は、ここの責任者を彷彿とさせる。
しかし、自分とは正反対に、やはり機能的な服に身を包んだ騎士及びその卵たちが、すれ違うたびに姿勢をただして敬礼してくるのはどうかと思う。
ひらひらと手を振って返してやっても緊張は崩れない。
……教育が行き届いていることで。
ここはレオニス養成所かよ。我ながら怖い想像をした。
突き当りの扉へとたどり着き、ノブへと手をかける。もう一方の腕を上げて、扉を2度、ノックする。
「お入りください」
扉を隔てたせいか、無機質な、けれど通りのいい低い声が耳に届く。口調からすれば、来客の正体は既に知れているらしく、首をかしげながらノブを回した。

「……」
ぱたん。

少し扉を押したところで室内から滲み出した冷気に、シオンは思わずそのまま扉を閉じてしまった。

うーわー。

ノブからは手が離せないまま、全身総毛立った感覚を逃がそうとする。
何か俺したっけか、と自問自答してみても、思い当たることが多すぎて検討がつかない。
そうこうしているうちに、内側より扉が開かれた。ノブを握ったままの身体は、それを追うように室内へと引き寄せられ、踏鞴を踏む。呆れ顔で見下ろす部屋の主と視線があって、咄嗟に引きつった笑顔しか返せない。

「…何をなさっているんですか」
「いやー…何かレオニスが怒ってるからさー」
呆れの為か、幾らか和らいだ冷気に後押しされるようにへらりと相好を崩す。
そうですか、と肯定とも否定ともつかぬ答えを返した相手は、そうして壮絶なまでにふわりと笑って見せた。

「……ッ!」
咄嗟に握ったままのノブを引いて、部屋と廊下を隔絶しようとするが、あいにく内側はレオニスがしっかりと握っている。力は拮抗するまでも無く相手が上で、びくともしない。
笑顔さえ崩れもしないのが恐ろしい。っていうかその笑顔怖い。
「……それなら」
笑みを形作る唇から零れ落ちる声はいっそ優しく、尚更シオンは竦みあがった。…それが表に出ないのは幸いなのか、不幸なのか。

「話は早いですね」

怖いって。マジで。
アイシュ辺りなら泣くぞ。
…いや、鈍感すぎて怒ってることに気づかず、笑顔を間に受けて「ご機嫌ですね〜」なんて笑うだろうか。
まだまだ余裕のあることを想像しながらも、シオンはじりじりと後ずさる。それでも扉のノブから手を離せないのは、二人の間を隔てる唯一の盾を失う気がするからか。

「……シルフィスのことです」
逃げの体制をとっていたシオンが、その言葉に弾かれるように顔を上げた。
仰ぎ見たその顔はもう、口元にも声にも、笑みはなない。
シオンの顔からも笑みが消えたことを見て取るとレオニスはノブより手を離し、室内へと踵を返した。
「人目があります。こちらへ」
扉の自由は既に自分の手の中にあったが、肩越しにかけられた言葉に逆らうことなく室内へと足を踏み入れる。
後ろ手に扉を閉める頃には、レオニスは既に事務卓の前に立っていた。
レオニスが一枚の封筒を机より持ち上げ、すぐに書類の上へと落とす。
その動作を扉の前で琥珀が追った。
「本日、シルフィスより辞表を預かりました」
「……」
「理由は聞いても無駄かと思い、聞いておりませんが」
貴方が今日ここに来た。
言葉は切られたがシオンを見据える青の瞳がそう語った。

一言もないシオンに、レオニスが溜息をつく。
「まだ、あれは未分化ですよ」
分かっているのか、そう含ませた響きにシオンはかさりと神経が掻き毟られるのを感じた。
「…それがどうした」
低い声は常には無い響きを伴い、それにレオニスが僅かに瞠目したが、構わなかった。
未分化だからなんだというんだ。
他ならぬ保護者代わりであるレオニスが、それを言うのか。
「そういう意味ではありません」
しかし、一変したシオンの雰囲気にも気圧されることもなく、レオニスは言葉を続ける。
それは言い聞かせるような響きに似ている。
「未分化であるということは、無限の可能性があるということです」
「……そん」
「シオン殿。貴方はその可能性を摘み取ってしまうおつもりですか」
そんなことは分かっている。そう言い掛けた語尾を遮り、静かな断罪が降った。
そんなことは分かっている。
何故あんたにそれを言われなければならない。
憤りの言葉は、しかし胸の上を素通りするばかりで、刺し貫くような痛みがあった。

「女性に変化するならまだしも、もし男性へと変化した時に、シオン殿はそれでも家庭に入って待っていろとおっしゃるつもりですか」
「それは、」
「いいえ。たとえ女性に変化したとしても、シルフィスの望みは騎士となり、殿下の、姫の、ひいてはこの国をその手で守ることです」
普段無口な男は、こんなときのために言葉を取っておいたのかと思うほど、語るのを止めようとはしない。
「……貴方が、殿下の傍でその力となることを望むのと同じように」
「……っ」
今度こそ息を呑んで、シオンは言葉を失った。
今更ながらに、自分の望んだものの重さに眩暈がした。
何故他人に指摘されなければそれに気づかなかったのか。
自ら目を逸らしていたからだ。
どれほど言葉を言い換えてみても、セイリオスを…彼がその手で守ろうとする国を見捨てて、自分に家でただ愛するものの帰りを待てと。そう言ったも同じだということに。
握った拳の中で、汗が滲むのが分かった。じくじくと、傷が疼くような痛みを胸が訴える。
愛という免罪符を振りかざして、都合のいい言葉で何もかもをシルフィスから奪おうとした自分に。
それは、自分の最も忌むべき事ではなかったのか。
それなのにシオンを映す青の瞳は責めるでもなく静かに其処に在る。
「辞表は受理いたしません。よろしいですね?」
「ああ……」
搾り出した声は酷く乾いて掠れていた。

それで話は終わりとばかり、レオニスは口を閉ざし、先程までの流麗さはどこにも見受けられない。
ここに来た意味をなくしたシオンは、けれど別の意味を得て、扉に手をかける。
「…なあ、レオニス」
扉を開き、ふと、そのまま身体をレオニスへと向けて呼んだ。
既に手元の書類に視線を落としていたレオニスが、その声に顔を上げる。
「何ですか」
「一介の見習いのために、あんたが何故ここまで肩入れする?」
視線が交わる。その瞳が自分と似た光を浮かべているのに、シオンは初めて気づいた。
レオニスは僅かに口端を上げる。
「成長を見ていたいからです」
含みも何もない静かな声から耳を塞ぎたくなった。
お互い挨拶もなく部屋を辞す。
レオニスの想いが何であったのか自分の中で確実になる前に、扉を隔ててあやふやにした。


敗北感で胸がいっぱいになったのはどれくらいぶりだろうか。
シルフィスをこの腕に得たのは自分だというのに。

「……見る目がないぜ、お前」

苦笑と共に小さく呟き、そうして自嘲は振り払った。
それでも、渡すつもりになぞ微塵もならないのだから仕方ない。
一瞬も気を抜いてられない。
しかしそれは、楽しい事のように思えた。

帰りもまたすれ違うレオニス予備軍に辟易して、来たときと同じように早々に廊下から庭を横切り、軽々と塀を飛び越えて帰る。
―――その姿を窓越しに見て、溜息を零す姿が一つあった。


End.


2004.11.11(12月改稿) 颯城零
書いたものの気に食わず放置していたのをサルベージ
シオン×シルフィス←レオニスの場合のレオニスの感情は
恋愛の情より父性愛のが強いイメージ