5.花葬
視界を埋め尽くす程の、花弁のシャワー。
いっそう深い風が木々を凪ぎ、視界が薄紅にぶれた。
流れ出す命の雫は地へと染み込む。
もう、顔を上げる事も叶わない。
「―――……」
唇を開いたが、声にはならなかった。
花を好む男と違って、実用的で無いものに心を動かしたことは無かったが。
今この色彩を純粋に美しい、そう思った。浮かぶはあれ程愛した女性ではなく。
もう伝える術はない。
鮮やかな命が散る、幾重もの、彩り―――



005.「花葬」



瞳を閉じて、桜の散る音を聞く。
「……貴方も毎日、よくも飽きませんね」
風の中でも色褪せない、低く、しかし通る声が耳に届き、シオンは瞳を開く。声の方へと顔を向ければ、けぶる花弁の向こうに、見慣れた長身の姿があった。
騎士団が所有する敷地の一角。
満開の、桜の群生。
最近のお気に入り。
「美しいものは好きだからな」
おまけに此処は邪魔されない。
僅かにレオニスは眉を顰める。
「……邪魔をして申し訳ありませんでした」
溜息と共に零した言葉を、しかしシオンは笑う。
「邪魔は入らないって今言ったろ?」
レオニスへ向けていた視線を、風によって音を奏でる木へと移す。見上げればいっそう鮮やかだ。
「美しいものは好きだからな」
もう一度繰り返した言葉に、今度こそ思い切り渋面を作る気配が伝わった。
ちらと横目に伺うと、思い描いたとおりの表情と重なり、喉を鳴らす。
顔は整っているが、花とはほど遠い。
しかし、例えば剣を振るう、その美しい才能だとか。
―――散り急ぐ、生き様だとか。
「シオン殿?」
一瞬の機嫌の移り変わりに気付いて、レオニスが声を掛けた。
「いや」
首を振って、今度は身体ごと、レオニスへと向ける。
それ以上の追求はない。
シオンは苦笑を零した後、半歩踏み出した。花弁を散らし、傍へと。
「レオニスこそ、何を律儀に毎日顔を出してんだよ」
「毎日のように通われると気になります」
感情の起伏を感じさせない声を紡ぐレオニスを見上げる。近づけばそれだけ、目線をあわせるには顎を上げるしかない。
手を伸ばしても、避ける様子もない、その手首に触れた。指の下に、血の脈動。
陽を受けて胸元に光るのは、いつもそこにあるペンダント。いつまでも、彼の胸を占める思いそのままに。
「……あんた、俺の事が好きだろ?」
目を背けるように、戯れで発した言葉。
一笑に伏すでも、不快さを表すでもなく、瞠目した青の瞳がシオンを射抜き、冗談で片付ける術を失った。
瞳の色は深く、何も読み取ることはできない。
そうして微動だにしなかった視線が、やがて桜へと移される。
自分を映さなくなった瞳に寂寥感を覚えた。
「……一人で居るのは良くありません」
吹き抜けた風に量を増す花弁が、まるで紗のように乱舞する。えもいわれぬ光彩。繋いだ腕以外、現実味が薄れる。

「寂しい場所ですから。浚われますよ」



余生だ、と彼は言った。
なんて緩慢で長い余生だろう。
愛する女性を腕にできず、失い、生きる意味は終わりを告げた。
本来、出世も叶わないだろう立場に置かれ、それでも彼は破格の出世をした。
無視できぬ程の、際だった武勲ゆえに。
世の中は理不尽にできている。
死をも恐れない行動が、元来の剣技と相俟って、かつて無い手柄へと繋がった。
矛盾に満ちている。
あの時、切望して得られなかったものが、意味を、価値を失って初めてその手に落ちてくる。
本人の意思に反して、鮮烈なまでに、見る者の魂に軌跡を残す、その生き方。



「お前が浚われてどうすんだよ」
これほど落ちる花弁があるというのに、手を差し伸べても、零れるように過ぎていく。
それはまるで、命のように。
一つだけ掌へと残ったそれを逃がさぬよう、握りしめた。

浚われますよ

もう聞くことの無い声が翻った。
そう言った彼はしかし、全てに一人で行き届き、それでも彼がそうしたように、少しは彼の隣に居ることが出来たのだろうか。
いずれ風に奪われる花弁のように、全ては記憶から薄れていくだろう。
「……お前、俺が好きなんだよ」

輪郭すら奪う、痛い程の鮮やかさの中。
シオンは少しだけ、泣いた。



End.



2004.11.19 颯城零

うわ痛ー!
最初死ぬ予定だったのはシオンだとか、
何かいろいろ間違いました……。