5.花葬 ◆戻
視界を埋め尽くす程の、花弁のシャワー。 いっそう深い風が木々を凪ぎ、視界が薄紅にぶれた。 流れ出す命の雫は地へと染み込む。 もう、顔を上げる事も叶わない。 「―――……」 唇を開いたが、声にはならなかった。 花を好む男と違って、実用的で無いものに心を動かしたことは無かったが。 今この色彩を純粋に美しい、そう思った。浮かぶはあれ程愛した女性ではなく。 もう伝える術はない。 鮮やかな命が散る、幾重もの、彩り――― 005.「花葬」 瞳を閉じて、桜の散る音を聞く。 「……貴方も毎日、よくも飽きませんね」 風の中でも色褪せない、低く、しかし通る声が耳に届き、シオンは瞳を開く。声の方へと顔を向ければ、けぶる花弁の向こうに、見慣れた長身の姿があった。 騎士団が所有する敷地の一角。 満開の、桜の群生。 最近のお気に入り。 「美しいものは好きだからな」 おまけに此処は邪魔されない。 僅かにレオニスは眉を顰める。 「……邪魔をして申し訳ありませんでした」 溜息と共に零した言葉を、しかしシオンは笑う。 「邪魔は入らないって今言ったろ?」 レオニスへ向けていた視線を、風によって音を奏でる木へと移す。見上げればいっそう鮮やかだ。 「美しいものは好きだからな」 もう一度繰り返した言葉に、今度こそ思い切り渋面を作る気配が伝わった。 ちらと横目に伺うと、思い描いたとおりの表情と重なり、喉を鳴らす。 顔は整っているが、花とはほど遠い。 しかし、例えば剣を振るう、その美しい才能だとか。 ―――散り急ぐ、生き様だとか。 「シオン殿?」 一瞬の機嫌の移り変わりに気付いて、レオニスが声を掛けた。 「いや」 首を振って、今度は身体ごと、レオニスへと向ける。 それ以上の追求はない。 シオンは苦笑を零した後、半歩踏み出した。花弁を散らし、傍へと。 「レオニスこそ、何を律儀に毎日顔を出してんだよ」 「毎日のように通われると気になります」 感情の起伏を感じさせない声を紡ぐレオニスを見上げる。近づけばそれだけ、目線をあわせるには顎を上げるしかない。 手を伸ばしても、避ける様子もない、その手首に触れた。指の下に、血の脈動。 陽を受けて胸元に光るのは、いつもそこにあるペンダント。いつまでも、彼の胸を占める思いそのままに。 「……あんた、俺の事が好きだろ?」 目を背けるように、戯れで発した言葉。 一笑に伏すでも、不快さを表すでもなく、瞠目した青の瞳がシオンを射抜き、冗談で片付ける術を失った。 瞳の色は深く、何も読み取ることはできない。 そうして微動だにしなかった視線が、やがて桜へと移される。 自分を映さなくなった瞳に寂寥感を覚えた。 「……一人で居るのは良くありません」 吹き抜けた風に量を増す花弁が、まるで紗のように乱舞する。えもいわれぬ光彩。繋いだ腕以外、現実味が薄れる。 「寂しい場所ですから。浚われますよ」 余生だ、と彼は言った。 なんて緩慢で長い余生だろう。 愛する女性を腕にできず、失い、生きる意味は終わりを告げた。 本来、出世も叶わないだろう立場に置かれ、それでも彼は破格の出世をした。 無視できぬ程の、際だった武勲ゆえに。 世の中は理不尽にできている。 死をも恐れない行動が、元来の剣技と相俟って、かつて無い手柄へと繋がった。 矛盾に満ちている。 あの時、切望して得られなかったものが、意味を、価値を失って初めてその手に落ちてくる。 本人の意思に反して、鮮烈なまでに、見る者の魂に軌跡を残す、その生き方。 「お前が浚われてどうすんだよ」 これほど落ちる花弁があるというのに、手を差し伸べても、零れるように過ぎていく。 それはまるで、命のように。 一つだけ掌へと残ったそれを逃がさぬよう、握りしめた。 浚われますよ もう聞くことの無い声が翻った。 そう言った彼はしかし、全てに一人で行き届き、それでも彼がそうしたように、少しは彼の隣に居ることが出来たのだろうか。 いずれ風に奪われる花弁のように、全ては記憶から薄れていくだろう。 「……お前、俺が好きなんだよ」 輪郭すら奪う、痛い程の鮮やかさの中。 シオンは少しだけ、泣いた。 End. 2004.11.19 颯城零 うわ痛ー! 最初死ぬ予定だったのはシオンだとか、 何かいろいろ間違いました……。 |