◆戻
「それって、シオンが嫌いってこと?」 「そうなるな」 012:「キーワード」 ショックというわけではない。 清潔で真っ直ぐなレオニスの性格を考えればはなから百も承知、万が一にも逆の答えであれば、それこそがシオンにとって晴天の霹靂、衝撃であっただろう。 (だったらなんで動揺してるんだ、俺は) 自分への好意があるなどと考えたことはないが、漠然とした予想でも、確たる言葉を持てば違うということか。 飾りのない、だからこそ偽りを差し挟む余地も無い言葉。 気付かれたかな、とシオンは舌打ちをした。 一瞬の消し損ねた気配を、レオニスが見逃すことはないだろう。それでも頬の筋肉一つ動かさなかった。 何だそれは。面白くない。 面白くない。 何が面白くないって、広げた本の活字が一向に頭に入ってこないことも、拾った言葉が何時までも頭から離れないことも。 立ち聞きをしていたわけではない、純粋な通りすがりだったのだから、やましいことは何一つない。 兄弟そろって書庫の番でもしているんじゃないかと疑うほどにどちらかが居座っているふたりも珍しく姿が見えず、邪魔が入らない環境に歓喜したのもつかの間、全く捗っていなかった。 人形のように感情の揺れを見せない、長い前髪の合間から覗く空っぽの青い瞳。言葉のように、淡々と紡がれる人生。 シオンを見るにも無表情だ。だから、期待したのだろうか。他と変わらないと。 (違うな) 即座に否定した。瞬間の感情の名前は見失っても、嫌われていることが動揺の源ではない。 自分はといえば。 膝に乗せていた本は一旦任務ごと机の上に放棄し、背もたれへと体重を預ける。書庫の備品である安物の木椅子が軋んだ音を上げた。 (別に嫌いじゃない) 手を抜けるところでは存分に抜くという観念が気に入らないらしい、何事にも全力疾走で融通の利かない性格は、面倒だし鬱陶しいこともあるが、それは嫌いとは違う。 嫌いなら歯牙にもかけない。自分の性格からして。 好意がなければ成り立たないだろう。 だったら。 うだるような暑さは、日光を遮断してもお構い無しに思考を浸食してくる。 ただでさえここ数日まともに寝ていない。 そういえばまだ昼だったな、とカーテンの隙間から差し込む光に目を向けた。昼夜の感覚すら危うくなりつつある。 準備はしてあったが、予想以上にダリスの行動は早かった。 余計なことに意識を裂いている場合じゃない。処理速度限界ぎりぎりの頭に割り込んでくる思惟。うっとうしい。 レオニスも寝ていないんだろう、無表情な横顔に僅かな疲労が滲んでいた。 「……ったく、何なんだ一体」 僅かな時間すら律することのできない思考に苦笑する。 投げやりに椅子に後頭部を預けるように仰向いて、瞳を閉じた。 嫌いじゃない。 その言葉の表す感情の範囲は、とても広い。 篭った熱にむせるような息苦しさの上を、風が通り過ぎて行った。 開いた瞳の端で涼やかに揺れたカーテンは、ほのかに紅く染まっている。 溜まった熱を吐息と共に吐き出した。額に手の甲を押し当てれば、じっとりと汗に濡れている。 「……レオニス」 開け放った窓から、じっと何かを見つめていた夕陽を受け止める横顔が、声に反応するようにシオンへと向けられた。 「起きましたか」 「いつから」 「つい今しがた。あと半刻待っても起きぬようなら、起こそうかと思っておりましたが」 無機質なガラス球のような青い瞳に、紅い色が溶け込んでいる。 シオンは大きく伸びをして、軋む身体を現実に引き戻す。 「何かあったのか?」 「殿下がお呼びです」 「半刻後で良いわけか?」 「見かけたら、と仰っておりましたので」 夢の中までは追いかけられぬでしょう。 再びレオニスの目が窓の外へと向けられる。相変わらず、何の感情も映さない横顔。 向けられる色を静かに受け止めるだけで、何かを返すことは無い。 夕陽も、通り過ぎていく雑踏も、人の好意や悪意すら、彼にとっては一律なのだろうか。 嫌いだと、言ったくせに。 子供の癇癪のように、胸がざわざわした。 意味も分からず、何もかも叩き壊したくなった。 唐突に、 声を上げて笑いたくなった。 本当に笑い出しそうで、口元を隠すように手を当てた。 「あー…、ヤバイな」 それでも何かが伝わったのか、それとも落とした呟きに反応したのか、レオニスが訝しげな顔を向けてくる。 それは、ヤバイだろう。 「シオン殿?」 「いや?サンキュな」 待っててくれて。 何事かを問う視線に否定を返して、本を手に立ち上がった。 説明しても分からないだろう。レオニスは戯れに似た心の機微を察するほど敏感にはできていない。 見失った感情の名は。 「それじゃ俺は行こうかねぇ。あんたは?」 踵を返して、溜息を背中で聴いた。続いて窓を閉じる音、追いかけてくる靴音。 悦びに似ている。 俺はあんたに興味がある。 ベクトルの向きはどちらでもいい、温度を、質感を感じたい。 他と同じモノはいらない。 嫌いだと言うくせに。 遠ざけたりしない。 拒絶することもない。 それなら。 俺はそれにつけこむ。 肩越しに笑みを投げると、レオニスは一瞬驚いたように瞬いた。 「な、好きって言ったらどうする?」 「……仰る意味がわかりません」 end. 2005.06.10 颯城零 うわー恥ずかしい。 |