19.鍵 ◆戻
人好きのする笑み。 遠慮の無い語り口調。 軽口を装った言葉はしかし、受け取り方一つで浅くも深くもなる。 真意は更に複雑に散りばめられていて、受け取る事のできる深さが、そのまま付き合いの深さに繋がるんだろう。 怖い人だ。 直感的にシルフィスはそう思った。 近づいては、いけない。 救国の英雄としてクライン初の女性騎士となったシルフィスは、仕事を終え通いなれた王宮の廊下を渡る。 空の青は冬のくすんだ紗を払い、柔らかそうな雲を浮かべながら町並みの境目まで続いている。風は数多の花の香を孕んで、夏に向かい徐々にその温度を増していた。 廊下の先に人影がある。 女官が背を壁に、蒼い髪の筆頭魔導士と、遠目にも楽しげに会話している。 廊下を渡るシルフィスには結い上げた髪の影となって表情が見えずとも、その輪郭がたやすく想像できた。花の香を含んで、幾筋か流れた蒼が、空に溶け込む。 ぴんと背を伸ばし、シルフィスは軽い会釈を置いて横を通り過ぎた。歩を刻む足は歩調を速めている。 「よ、シルフィス」 盗み聞きなどする趣味はないと、声は聞こえても文字の羅列が頭の中で意味を成さないよう流していたというのに、名前を呼ばれればしっかり心地よい形を持って身の内に留まった。 女官との話をどう切り上げたのか、そのまま追いかけてくる気配がある。 「声も掛けてくれないなんて、冷たいじゃないか?」 「お邪魔かと思いまして」 歩調を緩めず歩いていても、リーチの差は決定的で、シオンはゆったりと斜め後ろに位置を取ったようだった。ふわりと鼻腔を擽る花の芳香は、シオンからのものか、シオンが運んだ風からなのか判別がつかない。 「またまた。シルフィスと他の娘じゃあ、俺の天秤はシルフィスに傾きっぱなしだぜ」 「それは大変です。アイシュ様に、お仕事の天皿へ重石の増量を頼まなくては」 「そりゃアイシュが過労で倒れるのが先だ。で、暇か?」 「暇ではありません」 「もう仕事は上がりなんだろ。知ってるんだぜ」 「……公私共にお忙しくていらっしゃいます。私に構わないでください」 振り返ることすらせずににべも無い断り文句を与えても、何が楽しいのか飄々とした声が笑っている。 早足に廊下を歩く二人にすれ違っていく者は多く在るが、いつものことだと皆一様にちらと視線を寄越して忍び笑いを漏らすのみだ。 「つれないなあ。そうそう、パジャマは着てくれたか?」 「……」 「お?」 ぴたりと足を止めたシルフィスに、シオンが意外そうな声を上げ、距離を保ったまま同じように立ち止まる。踏鞴を踏むことすらしないのは、シオンにとっては足早の範疇ではなかったりするからだ。 自分よりも長身のシオンを振り仰ぐと差し込む陽の光が目に染みた。眩暈に似る。陽に煌く、琥珀に。 近づいては、いけないよ。 だが相手から近づいて来てしまった場合は、どうすればいいんだろうか。 それとも、無意識に近づいてしまったのか。 何故脳裏に警鐘が翻ったのか。 そんなことはもう、今更その想いの名前を求めようとも思わない。 ふたりでいるときに、徐々に形を露にした感情にあたふたと驚く日々はもう遠い。 クラインに来て2度目の誕生日に、いつものごとく神出鬼没に現れて「夢でも俺を思い出すよう」だとかなんだとか言って押し付けていった、淡い蒼と白のストライプパジャマ。 「シルフィス?」 まじまじと見上げたまま一言も発さないのをいぶかしんでか、シオンが覗き込んでくる。 「……りないんです」 「あ?」 「いえ。本当に過労で倒れる前にアイシュ様にお慈悲を。探していらっしゃいましたよ」 「シルフィスが魅力的過ぎてな、傾国め」 「光栄です。では今すぐ姿を消しますので」 「へーへー、俺の負けですよ」 両手を軽く挙げて降参してみせながら、シオンはにこにこと笑っている。 シオンは物珍しさも兼ねて楽しんでいるだけだ。 でもシルフィスはそんな中で溺れかかっている。 「んじゃ、嫌われる前に一仕事してくるかねえ」 事も無げに伸びをして踵を返す広い背を、瞳を細めて見た。 闇を内包していながら、輝きを失わない鮮やかな蒼。 真昼の青空と同質の。 「シオン様」 「ん?」 「留守の間で構いません。お部屋をお借りして良いですか」 振り返った顔が少し驚きを浮かべ、そうして目元を崩す。 「その時間を俺にくれるなら」 「また、そういう」 「言うさ、いくらでも。シルフィスに閉じる門戸なんてない、好きにすればいい」 ふわりと視界に緑が翻る。肩に乗った静かな重みで、漸くそれがシオンが普段愛用している肩掛けなのだと理解した。 「まだ冷える。風邪を引くなよ」 そのまま覗き込んでくる。やはり、春の花の微香が甘かった。 「……必要ありません」 「そうか?ま、いくらかの下心と予防入りだ」 間近な顔が不敵に笑みを刻んで、シルフィスの唇が言葉を発する前に挨拶でもするかのように掠め取る。甘い温度を伴って。 「シオン様……っ!」 悲鳴に似た声を上げる事が出来た時には既にシオンは射程圏外で、ひらひらと手を振る背中が笑っている。 馬鹿馬鹿しい程顔が赤くなっているだろう。 馬鹿馬鹿しい程。何もかも、一人で。 「ああもう!」 よっぽど追いかけて肩掛けを突っ返してやろうかとも思ったが、シオンは受け取らない。それどころか、更に引っかき回されるのが関の山と踏んで、シルフィスは踵を返す。 もと来た道を、行き道よりも更に乱暴な足取りでずかずかと戻り、鍵などいつもかかっていない部屋へと身を滑り込ませた。それでも勝手に入るような人間は殆どいない。開放的なんだかそうでないのか分からない空間は部屋主に似ている。 着てくれたか? 淡い蒼と白の、 「……あの蒼では足りないんです」 幾多の色彩を横目に、ソファへと向かった。積んである本を避けて腰を下ろす。 肩に掛かった布の重みが妙に熱かった。 瞳を閉じて、胸いっぱいに香りを吸い込んで、鮮やかな蒼を想う。 シオンの甘さは夢よりも儚い。 彼は珍しさを楽しんでいるだけで、シルフィスが意におもねればその瞬間醒める、玩具と変わりない。 敏いシオンのことだ、いつか気付かれるかも知れず、もしかしたら既に分かっていてそれすらも楽しんでいるのかもしれない。けれど。 季節が変わるように、ゆっくりと移り変わったこの想いを伝えることは無い。今は、まだ。 夢の中でも、俺の事を思い出せよ 「嘘つき」 掠めていく記憶と香りを運ぶ春の風。幾多の色。肩掛けの重み。 夢に出てきた試しがない。 こうなったら意地だ。何が何ても見てやろうという気になるじゃないか。 ここでなら。 シオンの生活その一片が浸透するこの場所でなら、彼の夢が見られるだろうか。 不器用な選択をするが傷付いてなお前を向くことを止めない。 潔癖だが、手の届く範囲を本能で理解している。 ふとした瞬間に本質を暴き、しかも迷わない翠の瞳を始め苦手だと思った。 それはやがて興味に変わり、信頼へと移り、とうとう言葉で表すことが出来なくなった。 愛の言葉を囁きあって、安易な快楽を分け合いたいわけではない。 ただ、傍にいるだけで満たされる。意味もなく笑うことができる。痛みを覚えることができる。 呼吸をする、ただそれだけのことに意味を知ることができる。 それで良いと思う。 それでは足りないと思う。 とはいえ、 「信用されてんだかされてないんだか」 ソファの住人は安らかな寝息を立てている。 分化が遅れたせいか、男心も女心も理解が及ばないらしいシルフィスは、あれ程突っぱねておきながらどこまでも無防備だ。 強引にこの手に絡め取ろうとは思わない。楽しんでいる、というのもあながち間違ってはいないが、シルフィスに関することが楽しくないわけは無いのだ。 シオンは傾きかけた陽がその横顔にかかる前にカーテンを引く。淡い陽だまりが、部屋に筋を作った。 シオンの心に射し込む心地よく、甘い切なさ。 「男が女に服を送るもう一つの意味の方を添えるべきだったかねえ?」 季節が変わるように、ゆっくりと移り変わったこの想いを伝えることは無い。今は、まだ。 End. 2005.01.29 颯城零 女騎士エンド2年目。+PS版シオン誕生日イベント PS版はやってない持ってないデスガ 恋人未満。しかしシオン信用ない(笑) |