20.時間 ◆戻
休暇というものは始末に困る。時間を持て余してどう過ごせばいいのか分からなくなる。 人には休暇が必要だと言うことは頭で分かっている。分かってはいるが、それが万人に当てはまるわけではないのだ。 剣を振るう事しか生き方を知らない。 余計な時間は余計な事を考える。その方がレオニスに疲れを呼ぶ。 だが、全く休みを取らないわけにはいかない。 あれこれと誤魔化しつつ休日を仕事で塗りつぶして来たが、限界はある。周囲の心配や詮索を呼ぶのは必至だし、説明したとて分かっては貰えないだろう。下にも気を使わせる。それは本意ではない。 (本でも借りるか) 本当なら騎士団に立ち寄って、自主練習でも行いたい所だが、それでは今日休暇を取った意味がない。 活字を追うのは嫌いではないし、悪くない考えに思えてレオニスは王宮へと足を向けた。 「お、レオニス発見」 書庫の扉が開くと同時に、耳慣れた楽しげな声が響いた。 読みかけの本より顔を上げれば、シオンはもう扉を閉めて近づいてきている。かち合った瞳にひらひらと手を振って寄越した。 「シオン殿」 「珍しい奴が珍しい所で……珍しいモン読んでるんだな」 ひょいとレオニスの手元を覗き込んで、シオンは笑う。 開かれたページには初歩の魔法理論が展開されていた。その上を、窓に引かれたカーテンの隙間から零れる光が筋を作っている。 本を傷めないため常に陽光は遮断されていて、書庫内は薄暗い。 「興味あるのか?」 「無いなら読みません」 「そりゃそうだ」 「習得できるのならば、その方が良いかと思いまして」 特に治癒魔法などは、と机越し向かいの椅子に手をかけているシオンに答えた。 今回は暇つぶしの意味合いが大きかったが、言ったことは本当である。シオンは腰を下ろしながら、うんざりとした顔をレオニスへと向ける。 「お前な、これ以上無敵になる気かよ」 「そのようなものになったことは一度も。貴方もご存知かと思いますが……それで?」 そもそも人のことが言えるのか、とも考えたが言わないでおいた。どうせ混ぜっ返されるだけだと水を向けるが、予想に反してシオンが不可解げに片眉をあげる。 すっかり向かいの席に腰を落ち着けたシオンの、空の手元をレオニスの目がちらりと辿る。 「目的は本ではないようですし、私をお探しだったのでは?」 「あー、まあ、な」 「ご用件は」 「……」 補足して問い直した言葉に、シオンは今度は押し黙り、ぶすっと脹れて見せた。 頬杖をついて、不満そうに逸らした琥珀の瞳が本棚のあたりを彷徨う。 「無粋め」 「……何故ですか」 「鈍感」 「……」 「朴念仁」 「シオン殿」 並べられた単語に自覚が無いでもなかったが、理不尽にも程があるだろう。諌めるように呆れ半分で名を呼べば、反応したようにシオンがレオニスを見据えた。 けれどその瞳の奥は苛立ちとは異なった静謐な色をしている。 「会いたかったからに決まってるだろーが」 言わせるかそーゆー事を、と再び逸らされた横顔の、頬が少し赤い。 思わず浮かんだ単語は口にすれば益々機嫌を損ねるだろうから、尚更反応に困る。 自然に笑みまで零れてしまう次第だ。 「はぁ……申し訳ありません」 それでも散々探して選んだ言葉はそんなもので、シオンの呆れ顔も想像の範疇だった。 「ま、レオニスだしな……で、教えようか?」 レオニスにとって不本意な結論ではあったが、切り替えは早い。シオンはもうこだわり無く身を乗り出して、白いページへ目を落としている。 「結構です」 「滅多にないぜ?」 「貴方は私に剣を教わりたいですか?」 「……そういうことか」 「そういうことです」 レオニスは本を持ち上げて傾け、シオンから開いたままのページを隠す。 ふたり、顔を見合わせて小さく笑った。 遠く鐘の音が響く。 ふと気付いてみれば、室内は薄く茜色に染まっていた。随分と長く読書に没頭していたようだ。 顔を上げると差し込む夕陽を受け止める、シオンの横顔。 机を肘掛代わりに横向きに座り、流すように本を見ている。レオニスの理解など及ぶべくもない高等の魔導書の内容も、彼の頭には既に入っているに違いなかった。 手元の本を畳む。見習いではないのだから門限などレオニスに関係はなかったが、なんとなく帰還の合図になってしまっている。 日没後の街にも特に用もない。 「……興味はありますよ」 ぽつりと零して立ち上がった。 聞こえなくてもいいと思ったが、小さな声でもしっかり拾ったらしく、シオンが顔を上げる。 「何だ?」 「無敵を目指すのも悪くはありませんね」 「レオニス?」 そんなものは無いと、シオンもレオニスも知っている。分かっていてあえて蒸し返した意図を計るよう、書棚へと本を戻すレオニスを琥珀の瞳が追いかけた。 謎かけは何時もシオンからでは芸がないだろう。 満足げにレオニスは笑みを浮かべてシオンを振り返った。シオンの両眼が驚きに見開かれる。 遠くから響く鐘の音。まるで自分の意識のようだと、レオニスはぼんやりと思った。 向けられる感情も、言わんとする言葉も、向かい合う自分も。 全て自分とは程遠い。けれどやっぱりレオニスの中にあって。 「簡単に死ぬわけにはまいりませんので」 きっと深く笑えた筈。 失礼します、とそのまま書庫を辞す。向けた背へ制止を求める声が掛かることはなかった。 「隊長さーん!」 後ろから、紅く染まる路に長く伸びる影が追いかけてくる。勢い数歩抜きんでてから走ってきた少女は立ち止まり、息を切らしてレオニスを見上げた。 異世界から来たという、少々どころでなくレオニスの常識の枠からはみ出た少女だ。もっとも、あの一癖も二癖もある筆頭魔導士も十二分に飛び出しているから、レオニスの常識が狭いのか、彼らが破格なのかは主観で判断できるものではない。 「どうした」 「シオン見なかった?」 「……先程まで書庫にいたようだが」 のんびりしていたから、てっきり自分と同じく休日だとばかり思っていたが、シオンの人となりを失念していたことに思い当たって眉根を寄せる。 「あー、そこは盲点だったわ」 「シオン殿がどうかしたのか」 「いいんだけどねー。誕生日だっていうから、あんなだけど世話になってないわけじゃないし、お祝いくらいしておくかーって思ったんだけど」 本人が雲隠れしていたなら仕方ないよね、とあっけらかんと諦めたようにメイは笑った。 鐘が鳴って半刻。それが彼女のタイムリミット。門限の時間だ。 「……誕生日?」 「らしいよー。キールが、だからお休みだって言ってたから」 「……」 王宮へと向けられたメイの顔を追うように、レオニスもまた、視線を向けた。辿ってきた道に逆らうように。 「ま、気持ちの問題だし。明日でもいいでしょ。誕生日は毎年来るし」 そんなレオニスの横顔をどう判断したのか、メイは笑って見上げた。 自分への言い訳のようであり、レオニスへ言っているようにも取れる。 周りなどお構いなしで嵐のように巻き込んでいくかと思えば、案外他人を見ているものだ。そういうところが、シオンとメイは似ている。 夕暮れの風はまだ少し肌寒く、ふたりの間を、言葉を浚って吹き抜けていった。小さく震えてメイは傍で落ち着き無く跳ねる。 「と、ヤバッ!門限だわ。帰らなきゃ!」 またね、隊長さん。 大きく手を振って、送ろうかと提案する間もなく、来たときのように走り去っていく。思い切りのいい小さな背を暫く見送ってから、踵を返す途中、王宮の方角で目が留まる。一瞬。 一瞬だけどうするか考えて、まあいいか、とレオニスは再び帰路についた。 誕生日にかこつけて何かを欲しいのなら、シオンのことだ、とっくにそう言っているだろう。 レオニスに気の利いたことを期待していない、というのとはまた違う気がする。 だから。まあ、いいだろう。 会いたかった そうやって心に残っていけるのなら。 来年の今日、もう一度休暇をとるのも悪くないとレオニスは少しだけ思った。 End. 2005.04.21 颯城零 シオンはぴばすでー期間中シオン×レオニスver. |