35.瞳
※レオディア前提シオレオです。三人ともに救いが無いのでご注意を



少々姫としての自覚に欠けるところはあるが、皆に愛され華やぎを与える少女が姿を見せない、それだけで城は酷く静かで、廊下に響く笑い声もなりを潜めてしまっていた。
ふっと何かを探すように泳ぐ青い瞳。

その冷たい青に優しい温度が灯る瞬間を知っている。

「姫さんは1ヵ月の謹慎だとよ」
意地悪な気分が刺激されて、差し出された書類への返答と変えた。口をついてすぐに後悔したが、もう遅い。
一瞬瞠目したレオニスは、けれど予想に反して穏やかに瞳を伏せた。それは単純に、告げられた事実のみに驚いたかのようにも見える。
「そうですか」
返された言葉にも動揺の色はなく、仕掛けたはずのシオンが逆に眉を顰める。
「そんだけか?」
「他に何か」
それはレオニスの心に土足で踏み込む言葉だ。分かっていたが、今更引き下がれなかった。
ほんの一瞬、肌を切る緊張が走った気がしたが、しかしすぐに小さく笑みさえ返して寄越す。
変に過敏になっているのは逆にシオンだ。自虐的な感情がありもしない緊張を読み取っているとも思えるほどの。
「シオン殿は何か勘違いしておられるようです」
それで用は済んだとばかり、一礼を向けてレオニスは踵を返した。
いっそ肯定してくれれば。
想い人を失ってからの長い長い生。
それがレオニスに与えたのは、自分の心を誤魔化す術か。
もしくは、それすらも自分の被害妄想の一環なのか。
そうではないだろう。
冷たい青に優しい温度が灯る瞬間を知っている。
では、それを読み取る自分の瞳は―――?
「俺にしとけよ」
口から出た言葉に自分が驚いた。訝しげな瞳が振り返る前に、シオンは不敵ば笑みを浮かべることに、かろうじて成功する。
「俺ならどーせ勘当された身だし?いつ誰とくっつこうが障害はなんもないぜ?」
動揺は逆に感情を切り離して冷静さを取り戻す。演技過剰に甘い囁きに乗せてウィンクの一つも送って見せれば、今度こそレオニスは嫌そうに眉を顰めた。
咎める視線にあっさりと降参するように肩を竦めて両手を上げる。
「……冗談だよ」
本気にすんな。
「笑えない冗談です」
「ごもっとも」
反応を楽しむようなからかいを含ませた声音に、レオニスは溜息を零し、笑うシオンを尻目に埒があかないとばかり一礼し部屋を退出していった。

性格を現すように静かに閉められる扉の音一つにシオンの感情はざわつく。
「冗談、ね」
そうだったらどんなにいいか。
張り付いた笑みに不似合いな自嘲気味の呟きは、聞き手もなく。
あれほどに自分の心に鈍感になれたなら。





「何が、勘違いだって?」
逆に何の感情も沸かなかった。沸いていても処理しきれない量の感情なのだろう。
風が、強い。抜き身の剣を持つ手に、ばたばたとはためく肩掛けが撫でる感覚が鬱陶しい。
「返す言葉もございません」
何かを口にしようとしたディアーナを制するように、レオニスが微かに困ったような笑みを浮かべ、答える。
「逃げられると思ったのか?姫さんを誘拐して、ダリスにでも売るつもりか」
「シオン!わたくしは……」
ディアーナの意思ではないと、決め付ける言葉にレオニスの後ろに隠れるように立つ少女が反論しかけて、向けられたシオンの瞳の冷たさにびくりと身を竦める。
そうでなくてはならないのだ。
真実はどうであれ。
そんなこともわからない、暖かな環境に育った少女は、誰からも向けられたことがないだろう冷たい態度におびえている。
身に許される贅沢と我侭の意味も理解できなかった、愚かな少女だ。シオンは心中でそう蔑んだ。
震える姿に興味を無くしたように、相変わらず感情の読めないレオニスを見上げる。
「レオニス=クレベール。このまま戻ればよし、抵抗するなら殺してよいとの命令だ」
「よりによって貴方に見つかるとは、運がない」
命令書を読み上げるように告げれば、ディアーナは迷うようにレオニスとシオンを交互に見た。
だが大人しく戻っても、レオニスが許される術はもうないだろう。両者ともそれは解っていて、だからこれは、予定調和の茶番に過ぎない。
一つの結末に向かうための馬鹿げた劇だ。
強い風はお互いの台詞から感情の揺れを奪い取っているかのように、耳に届く声はどこまでも平坦に響く。
「姫、先に」
「でも……!」
「すぐに後を追いますから」
シオンと対峙したままのレオニスに、戸惑う様子を見せ、しかしすぐに決心したよう「わかりましたわ」と呟いて身を翻した。
足手まといになると判断したのだろう。場違いな質のいいドレスの裾が揺れ、森の奥へと消えていく。
シオンもまた、レオニスと対峙したまま、横目にその後姿を追ったのみだった。
追討部隊は他にも多く出ており、ましてや姫君が逃げられる距離などたかが知れている。
その役目は自分である必要はない。
「馬鹿をしたな」
愚かなことだ。姫さんも、レオニスも。
すらりと鞘を払い、剣を抜くレオニスが笑った。
「愚かでしょうか。―――生きる意味を、見失わないだけです」
ディアーナの消えた方向へ視線を向ける。その瞳の優しさに、ああ、とシオンは思った。
彼女を怯えさせたのは、自分の蔑む視線ではない。
それは、憎しみ。妬み。自分ができないことを、やすやすと飛び越えることのできる彼女に向けられた、隠せない感情。
誰か一人よりも、この生き方を選んだのは自分だというのに、八つ当たりに似た感情を持ってディアーナを評価している。
根本的な価値観が、シオンとディアーナでは異なっている。

戯れに投げる冗談に混ぜた、ほんの少しの本音を告げていれば、少なくともこの運命は避けられただろうか?
けれどもう、歯車は回りだしてしまった。
「逃げられると思うか?」
「……難しいでしょうね。姫をかどわかしたとあっては、追手も貴方一人ではないでしょうし」
答えるレオニスの台詞も、どこまでも茶番だ。シオンは苦笑を零して左手を翳す。
ああ。風が強いな。どこか現実味のない脳の片隅で暢気にそう思った。
レオニスの剣を握る手に力が篭るのを見逃さない。
「風よ!」
簡単な詠唱で風の精霊はシオンに従い、レオニスを襲う。
レオニスは地を蹴ると、掻い潜るようにしてシオンへと距離をつめる。薙ぐ剣先を、かろうじて右手の剣で流しながら後ろへと飛んだ。
流した筈なのに腕が痺れる。剣を弾かれなかっただけ御の字だ。続けざまに2、3発魔法を放つが、流石実践慣れしており、レオニスは致命傷を避けながら再び踏み込んでくる。
距離を縮められればシオンに勝ち目はない。距離が再び近づく前に、レオニスの着地地点目掛けて魔法を放った。
「―――ッ!!」
どん、と飛ばされた身体が木の幹に叩きつけられる、鈍い音が響く。
少し遅れて、さらに遠くに飛ばされたレオニスの剣が、金属音を立てて落ちた。
剣ではないから、肉を切り裂く感触は手に残らない。
このときばかりは、シオンはそれを少し残念に思った。
「っ……」
ずるずると風に身を斬られ血を流す身体を支えきれずにそのまま座り込むレオニスへと歩み寄り、目前で足を止めて見下ろす。
木の幹に引きずったような血の色べったりと残っている。
「運が無かったな」
一歩間違えばこうして見下ろされるのはレオニスでなく自分だっただろう。シオンは剣先をレオニスの首元へと向ける。
レオニスはやはり感情の見えない青い瞳でシオンを見上げ、諦めるように瞳を閉じた。
それはシオンの見慣れた彼そのもので、心がざわつく。
追っ手として現れたシオンに僅かに見開いた青の瞳。そう、はじめから。はじめからレオニスはこの眼をしていなかったか。
「いえ……むしろ運が良かったのかもしれません」
ひゅ、と不自然な呼吸音と共に耳に届いた言葉に、視界が白く焼けるようだった。
この結末こそが望みだというのなら。
シオンにとって、どれだけ残酷な言葉であるか。
「俺は……!!」
思わず吐き出した揺れる声に、レオニスが閉ざした瞼を持ち上げる。
少し驚いたような風なのが、いっそ可笑しかった。

青く深い、空の色。一生届くことは無いその瞳のいろ。
レオニスのことは言えない。
自分こそ、様々な言い訳で縛り付けて、諦めてしまってはいなかったか。
突きつけた剣先がカタカタと震えていた。
どうせこれで終わるのだ。
「……あんたのことが好きだったんだ」
搾り出すようなシオンの声は、語尾が掠れ聞き取れたかどうかも怪しい。

もっと早く告げていれば、何かが変わったのだろうか。
この運命を避けられただろうか。

驚きに見開かれた青を見て馬鹿は俺だ、と心中で呟いた。
下草を濡らす赤。命の雫。とても助かる傷ではない。もう全ては終わろうというのに。
自分の手で幕を引いたというのに。
止めを刺す必要は無いと判断して剣を引き、鞘に収める。
どんな喜劇だろう。自分を殺す男に想いを吐露されるとはレオニスも浮かばれぬに違いない。
最悪な嫌がらせと取られるかもしれない。結果的には間違っていないだろう。
そう思うとシオンは少しだけ胸がすく思いがした。明らかにこれもまた、八つ当たりだ。
レオニスはゆっくりと一度瞬くと、ざり、と力なく地に落ちていたてのひらを握り締める。
その微かな音にはっとシオンが我に返ると、視線を受け血の気の引いた顔でレオニスは笑った。
「……気が変わりました」
見たことの無い表情に気を取られ、小さく落とされた声を理解するのに一瞬遅れる。
「何が何でも、逃げ延びましょう」
宣言と同時に左手に握りこんだ土を、シオンの顔目掛けて投げる。
「ッ……!?」
反射的に目を閉じ庇う様に腕を上げるが、どこにそんな余力が残っていたのか、その隙に落ちていた剣を拾い上げ、柄をシオンの腹部へ叩き込む。
強かに腹を殴られ葛折れるシオンを尻目にレオニスは身を翻した。
「っげほ……!」
演技だったとでも言うのか。
いや、違うだろう。流れる血量をごまかせるわけも無い。
霞む視界で、どこかの童話の目印のように、血の痕を残しながら消えていく後姿を見る。
逃げられるはずがない。
血痕を辿られてしまう。
今すぐ止血をしなければ……。

せめて。
強風にすら耐え切れずにふらつく足取りを見て、風が止めばいいのに、と密かに祈った。

決して好意など無いだろう自分にすら、そうやって解り難い優しさを見せる。
だからあんたなんだろう。
薄れる意識の中、泣きたいな、とぼんやりと思った。
どうせなら雨が降れば泣けるのに。
いや、雪がいい。血の痕も消してくれるだろう。


だから。

俺は、あんたが好きなんだ。




End.

2007.08.17
いろんな意味でごめんなさい!!(脱兎)