55.サボテン
書類を届けに行けば、あの手この手で引きとめられる。
自分の性格と内情は完璧に読まれており、最近は特にバリエーションに富んでいる。かといって、部下に任せてしまうには、余りに理由が私的である。
余計な手間と時間を惜しむか、仕事に私情を差し挟むことを恥とするか。
それでも結局、今日も書類を手にシオンの執務室の扉を叩くのはレオニスなのだ。
そこまで計算の内かもしれない。

新しい茶葉が手に入ったんだと、子供のようにシオンは笑った。
確かに本意は読み取りにくい男ではあるけれど、言動パターンはレオニスもまた、ある程度把握済みだ。内訳はころころと形を変えたが、付き合いの長さだけでいけばもう、結構なものになる。
それでもまあいいか、という結論に達するのは、それがシオンの魅力ゆえなのか、手管ゆえなのか、それとも自分が単純に勝ち目の薄い攻防戦への労力を惜しんでいるのかは、見極められない。
無節操に見えて、状況が許さない時に誘いをかけてくることは極めて少ない。そういう見逃しそうな気遣いだけは抜かりない。あるいは、それが理由かもしれなかった。

見た目に涼やかな白いテーブルセット。配置される色彩感覚は悪くないが、部屋がこう散らかっていては台無しだ。テーブルの真ん中には見慣れない鉢植えが置いてある。そこに植わっている植物もまた、あまり見覚えのないものだ。
数度、遠征先で目にした程度か。いや、正確には同じ種を見ただけで、それは初めて見る形だった。
球のような形状に表面に無数の針。

「サボテンがどうかしたのか?」
横合いから、声と一緒にティーカップが差し出された。
かちゃん、とかすかに陶器が鳴らす音、染み渡る柔らかな茶の香り。
砂糖やミルクは最初から持ってこない。レオニスが入れない事を知っているのだ。
ありがとうございますと礼を述べて、
「珍しいですね」
「この辺では見かけないからな」
「貴方がです。もっと華やかな植物がお好きかと」
小さく笑う気配がして、サボテンの向こう側にシオンは腰を下ろす。
「花が咲くと案外可愛いぜ」
ますます意外だと思った。どちらかというと、可憐さより、艶やかさを好む傾向にあった印象がある。花を女性に見立てて揶揄することも少なくない。
そういう意味では、目の前のサボテンは向かないだろう。明らかに。
シオンは身を乗り出すようにしてテーブルに頬杖をつく。小さく椅子が軋んで、レオニスを楽しむような琥珀の瞳が見上げてくる。
「ちょっとあんたに似てるよな」
「刺々しいからですか」
「自分で言うかぁ?」
そりゃあいい、とシオンは笑った。
自分がいちいちまともに返事を返すのを面白がっている。分かっているが、冗談で受け流すことはレオニスにとって至難の業だ。
気が利かないだとか、社交性に優れていないだとか、そういう短所だと思うのだが、それがいいのだと言う。彼のものの感じ取り方はいちいち謎だ。

「水はあまりいらない、とか言われてるけどな、たまにたっぷりやらないといけないんだぜ」
溢れるくらいに、水という名の愛情を。
花に向ける眼差しで、そのままレオニスを見上げる。
なんだか鳥肌が立った。
「ま、水無しでも数年生きたりもするんだがな。表面は一見刺々しいけど、中は水で溢れてる。華やかさこそないが、なんだかいじらしくて可愛いと思わないか?」
「……なんの話ですか」
「サボテンの話」
さすがに眉を寄せたレオニスに、けれど先ほど言ったばかりの前置きを綺麗に無視して、シオンはあっさりと応える。
よく回る口だ。それ以上に頭脳が回転しているのだから恐ろしい。
組まれた手で口元は見えない。
笑っているのだろうか。向けられる琥珀は意外に優しい色で。
レオニスはやはり言葉を失って、サボテンへと視線を落とした。
沈黙すら読まれていると、レオニスは思う。確信犯は手強い。

「可愛いだろ?やろうか、それ」
「世話の仕方を知りません」
「俺が世話しに行ってやろうじゃないか」
「毎日ですか」
「毎日は必要ない。根腐れを起こしちまうからな、特にこの季節は」
綺麗な指が、鉢植えへと伸びて、とんと縁を叩いた。
無表情にそれを辿ったレオニスの瞳に、ちらりと視線をよこして笑う。
「水はやりすぎても良くない。毎日、と言いたいところなんだが、なかなか気難しいんだぜ。我慢しないと。……ま、そーゆーところがまた病みつきになったりするわけだけどな」

「だから、何の話を……」
「サボテンだろ?」

下ろした空のカップがかしゃん、と思ったより耳障りな音を立てた。誤った力加減が、明確に動揺を伝えている。
眉を顰めるレオニスに反し、瞳細めてシオンはいっそう笑みを深めた。
それでもやはり、ここに来てしまうのだろう。シオンは気付いている。
「……いただいて帰ります」


End.


2005.07.30 颯城零