66.錆

緑茂る梢を、風が撫でていく。
さやさやと、涼しげな音が風と共に通り抜ける。
大樹が作る大きな影に、転々と光が落ちている。葉の隙間から。
その根元で、一人の少女が夢を追いかけている。
普段ならば、その眼差しの強さゆえか、それとも彼女の伸びやかなさっぱりとした性格ゆえか、少女という言葉は怖気づいてしまう雰囲気があるが、なるほど、目を閉じて意識の無い相手は確かに少女と呼ぶに相応しい。

風邪を引きますよ。
議長である貴方が、無用心ですよ。
皆が心配しますよ。
もう少しで会議が始まりますよ。

どう声を掛けるべきか迷った挙句、プルートは結局黙ったまま同じ大樹の根元に少し離れて座った。
目を覚ませばまた、大人の顔をして、見知らぬ世界を相手に立ち向かうのだろう。
早く大人になることを義務付けられたのは、自分も彼女も同じ。それなのに。
それなのに、彼女はあらゆる面で本物であり、自分は何も持っていない。

だから、彼女はどこまでも綺麗でいられる。
だから、自分はどこまでも醜い。
プルートが偽物なのは、葵のせいではない。それでも。
心に出来たひっかき傷はなかなか癒えることは無い。
葵の存在そのものがプルートのコンプレックスを刺激する。
もう、そんな事も無意味になった今になっても。
葵が、プルートにとって何者にも代えがたい存在になった今もなお、背を突き飛ばしたあの時の衝動がせり上がってくる。
彼女が無防備な姿を自分に見せるたびに。

さやさやと、再び梢が音を立てた。
思わず考えに没頭しかけたプルートの意識が引き戻される。
ひやりと隣を見れば、葵は変わらず穏やかな寝息を立てている、そのことにほっと安堵のため息を零した。

帰らずにそこにいてくれることが嬉しい。
その強い瞳で自分を見て欲しい。
毅然と、本物ゆえの傲慢さで輝いている葵を、何よりも綺麗だと思う。
どんな困難が降りかかろうと、決して折れることの無い心を美しいと思う。
―――信頼ゆえの無防備さが、泣きたくなるほど切ない。

それとも。
だからこそ、だろうか。
自分以外がその瞳に映ることに耐え難い衝動を覚えているのだとしたら。
そんなに。

遠くで時間を知らせる鐘が響いている。
起こさなければ、と伸ばした指は葵の身体に触れることなく。
「葵さん。起きてください。風邪を引きますよ」
伸ばした腕を引いて、そっと声を掛けた。
自分が触れたら、彼女が穢れてしまう気がして。


そんなに、好きだなんて。




「葵さん。起きてください。風邪を引きますよ」
零れる陽よりも柔らかく掛けられた声に、葵はゆっくりと瞼を上げ、それから数度瞬いた。
声のするほうへと視線を向ければ、プルートが地べたに座り込んだまま微笑っている。
遠く鐘の余韻が耳に残っている。
「む、寝ておったか」
「陽も傾いてきました。いくら夏でも、身体に良くないですよ」
「……そういえば会議があるのだったな」
「はい。大丈夫ですか?」
「誰に言うておる」
きっぱりと答える葵の瞳はもう寝ぼけた様子もなく、強い意志を持ってプルートを射抜く。
気づかれないぎりぎりの切なさを含めてプルートは笑みを深めた。
「では、いきましょうか」
立ち上がって白い法衣を払うと、ぱらぱらと芝生が舞う。
追いかけるように葵も立ち上がって、先導するように歩き始めたプルートの背を見る。


「意気地なしめ」
呟いた言葉は聞こえても聞こえなくてもいいと思ったが、どうやら届かなかったようだった。
背中に気配を感じないことを不思議に思ったか、プルートが振り返る。
「葵さん?」
「今、行く」
小さく駆け寄って隣に並んで、大きく伸びをした。
ぽつぽつと影に落ちた陽の光が、閉じていた瞳には少し眩しい。

自分に触れる理由がなんだって、葵には構わないのに。
国の指導者たるものが、私情で何かを優先していいはずがない。
分かってはいるが、民よりも大事なものがある。
十分に利己的だと、葵は自覚している。
そんなにも―――。

傾いた陽が少し冷たい風を運んでくる。
水に囲まれたこの国の秋は少し早い。
冷えた身体が小さく震えた。




End.

2006.08.20 颯城零
ファンタ1と違って、(自分達作)セリフ集片手に書いたわけじゃないから
セリフとか設定とかイロイロ間違いがあるかも…