70.藍



やってしまったヘマについてはシルフィスに堅く口止めをした。
上司に似て真面目な性格だ、一度頷けば他に洩れることは無いだろうと安心したところに油断が生まれたのか、よりによってセイリオスにバレた。
思えばシルフィスと共に廊下ですれ違った時から疑っていたに違いない。
事が事だ、公にすることは流石にセイリオスもしなかったが、方々を騙そうとしたシオンへのせめてもの腹いせか、親しい相手ばっかりに密やかに、しかし徹底して噂は流れていった。
効果は覿面だ。
こんなときばかりアイシュの運んでくる書類は目に見えて量が減り、持て余した時間を狙うように入れ替わり立ち代り見知った顔がシオンの部屋を訪れた。
挙句にあしらう余裕があると見て取ると、ここぞとばかりに「日頃の行い」だとか「少しは改めろ」だとか、労りの欠片もない憎まれ口を叩いて行く。
通常書類が山となっている机の上は、在り得ないくらい綺麗で、窓の外はそれこそ憎たらしい程青空が広がっている。
だというのに抜け出すには抉られた脇腹の傷が疼く。
憎まれ口を叩くのは、安堵の表れだ。きつい言葉の端々に愛情が潜んでいる。それでも苛々が募っていくのは、この悉く自分を裏切るこの状況のせい。
―――そして、一度も顔を見せない男のせいだ。
そう結論付けて、シオンは椅子より肩掛けを拾い上げ、窓へと歩を向けながらそれを肩へと滑らせた。
歩く度に傷口に鈍痛が重く積もるが知るものか。
バルコニーの柵に手をかけ、ひらりと腕の力だけでそれを越えた刹那、背後でアイシュの間延びした悲鳴が響いた。



Indigo-white...



シオンは、度々腕試しと称しては戦場へと足を向けた。
勘当したくせに何かと関与してきたがる家だとか、七光りだの規律を乱しているだのカイナス家の落ち零れだの、才能も無いくせに妬み全開な院の連中の視線から逃げたかったのかもしれないし、自分の言葉通りに若気の至りの一環であるかもしれなかった。シオン自身にも、その辺の境界は曖昧で、そうして足を運べば度々耳に入る名前があった。
レオニス・クレベール
その名は、かつて別の場所で聞いたこともあったけれど。
まだ漸く齢20を少しばかり越えた程度の人物の名に含まれる感情は人によって様々で、尊敬、羨望、妬み、蔑み……それは少しどこかで見たことのある感情の色合いに似ている、とシオンは思う。
そういう噂に大して興味を示さないシオンにも、彼がたいそう無愛想で、そして滅法剣の腕が立つということだけは、確実に浸透していった。

彼は逃げたいとは思わないのだろうか。


戦場ともなれば、流石に安穏とはしていられない。シオンにとってみれば平常いっそ大げさな程に扱う命の重さと儚さを、紙面上の数字だけが加算されていく形で、まるで折れた剣か何かの如く軽く扱われる。哀れみだとか、悲しみだとか、そういう感情はおいてけぼりだ。そうでなければやっていけない。
自分が奪う命もそうなのだから。
人は荒んで行く。剣戟も、渦巻く魔力も、荒んで乱雑に乱れていく。自分もまた。そういう自覚がシオンにはある。ただ、自分の場合は戦いに荒んでいるというより、生そのものに。
そんな中でも、彼はいっそう際立って荒んでいるように見えた。

シオンは後方支援として来ている訳ではない。
しかし、おそらく年少者から数えて両手の指で足るシオンが一番魔導に卓越していたのも事実で、治癒魔法の依頼は度々転がり込んでくる。
壊すのは簡単でも、治すのが難しいのは、魔導も同じことで、しかも自分の性に合っていない。出来ないことは無いが磨耗が激しい。
普段なら断るところだったが、シオンは是を返した。告げられた名に多少の好奇心が動いたことは否定できない。
案内されたテントに足を踏み入れれば、既に身に馴染んだむせ返る血の香が鼻腔を掠めた。
鈍い紅。黒の闇。向けられた深い青の―――

ておいのけもの

それがレオニスに対する第一印象だった。
ちりちりと刺さるような視線、触れれば切れそうな気配。誰よりも荒んだ瞳の色。夜の青。
だというのに、揺らぎもしない冷たい表情。痛みなど、感じていないかのような。命すら奪いかねない鮮やかな血の色さえなければ、怪我をしていることすら忘れそうだ。対比的な紅の。それは興奮を誘う色だという。けれど。
治癒魔法をかける間も、後も、レオニスは何一つ表情を変えるでもなく、安堵も感謝も、形式上の礼以外に拾えるものは何も無かった。
がらんどうだ。
……無愛想なんてレベルじゃないんじゃないのか。
僅かな失望が胸に滲んだ。
無色透明。
存在の強さは鮮やかなまでに其処にあるのに。
かつて宮廷を騒がせた人物像と重なるところは何一つ。
感情の色彩は、何、一つも。


次の日から雪がちらつき始めた。
全てを閉じ込める白。
こうなると軍の足も止まりやすい。
案の定頻繁に起こっていた小競り合いもぱったりとなりを潜めて、4日になろうとしていた。
早朝、シオンは不覚にも目が冴えてテントを出る。いかに夜型のシオンとはいえ、酒以外に大した娯楽も無く、夜になれば早々に寝る生活が続けば当然ともいえる結果だろう。
3日間降り続けた雪は、世界を白銀に染め、音を吸い、肌を突き刺す寒さを生み、小さく身を震わせた。
交代の見張り以外、未だ起き出さない野営地が世界に存在するのが自分一人だという錯覚を呼ぶのは雪の日にはいつものことで、しかし気の向くままに足を向けた先には自分以外の気配があった。
綺麗にぴんと伸ばされた黒い背中が振り返る。すぐにやる気が見えないとか言われる自分とは正反対にある、潔癖そうな隙のない姿。漆黒の髪が動きに合わせて小さく揺れた。
どうして、と思うより先にシオンはそちらに向かって歩き出す。袖口から包帯の覗く手には剣を持っている。目的は明白だ。
不機嫌さを隠しもしないシオンの足取りに、けれどもレオニスの相変わらず何の感情も映さない青い瞳は僅かに見開かれただけで、その場を動こうとはしない。
酷く荒んでいるのに、その目を綺麗だと思う。ただ、それは哀しい美しさだ。中に何もないからこその、澄んだガラス玉のような。どんなに綺麗でも欲しくは無い。
その手に握られた剣に指を伸ばした時点で漸く迷うように僅かに身じろいだけれども、結局剣を手放すことも引くことも無く、レオニスは苛立ちを宿す琥珀の瞳を受け止めた。
「あんたね。俺の魔法を無駄にする気か?」
鞘に手をかけ、かといってレオニスの手から奪うでもなく、シオンは眦を上げて、夜を溶かしたような瞳を見上げる。まだシオンが成長期さなかとはいえ、レオニスの身長は破格だ。二人の目線の高さには20cm近くの差がある。
治癒魔法を受けても、快癒するわけではない。治癒魔法は術者に相当な負担をかける。ゆえに、基本的には「命に別状のない程度」まで引き上げることしかしない。特に戦時中は。傷など3日もせずに暴れれば簡単に開く。
黒い服、焼けた肌にいっそう目立つ白い包帯は真新しい。
「身体が鈍ります」
「訓練のことだけじゃないだろ」
低い声は何の抑揚もなく平坦で、シオンは無意識に眉根を寄せた。
昨日聞いた声音とのあまりの違いに。
らしくない、と続ければ、レオニスはにわかに押し黙った。

昨夜小さな騒ぎがあった。
血に昂ぶる戦場の精神状態で酒の一つでも入れば諍いなど珍しくもないことで、それでもシオンを驚かせたのは、その中心にレオニスが居ることだった。
怒りも露に荒げる声、相手を見据える強い光を宿した瞳、憤りに振り上げられた拳。
ただほんの数日前に見た空ろな外郭はどこにも無く、いっぱいに感情が詰まって溢れ出さないのが不思議な程だ。
シオンは知らず握り締めた手のひらに熱を篭らせた。空っぽな器に今は何かが満ち満ちていて、別人と言われても頷きそうだ。喜びや怒りとかではない、そんな簡単ではない何かうずうずと落ち着かないものが胸に溜まるのを感じた。
勝負にもならない。手負いとはいえ、器の差は明確だった。しかし、判りきった勝負をの行方を見るまでもなく上司らしき騎士の一喝と、厳重注意でその場は速やかに片付けられ、散っていく人ごみからちらほら不完全燃焼のざわめきと、亡き王妃の名が聞こえた。

「あの場に、」
「偶然な」
言葉尻を捕らえて肯定を返すと、そうか、と呟いてレオニスは目を伏せた。
そもそも噂と一度、会っただけで、「らしい」とはなんだ、とシオンは自分で思わないでもなかったが、持った印象は変えられない。
「恥ずかしいところをお見せした」
そう言った声は本当に恥じ入っていて、瞼の下から覗いた、何でも飲み込むように受け止めるかと思われた青の瞳は逸らされていた。
昨日輪の外から見た許容量ぎりぎりの煌きが、今は間近にあって。
らしくない。
だったららしいとは何なのだろうか。
「……」
「…シオン殿?」
形ばかりの低く伺うような声が耳に届いて、シオンは初めて自分が呆けて居たのだと自覚する。なんとなく、ばつが悪くてかけていた剣の柄より手を離した。
覗き込んでくるその瞳はもうガラスのように感情が綺麗に取り払われていて、少し残念に思う。
「傷が開いただろ」
離した手を本人へと伸ばせば、僅かに肩を引く。包帯の巻かれた利き腕。空を切るのも何だか腹立たしく、首から垂れるペンダントに指を掛けた。レオニスはそれ以上身を引くことは無く。初めて会った時にもその胸にあった。それは昨日、殴られた相手の手の中になかっただろうか?
そのペンダントの持つ意味を、まだシオンは知らない。
「…治癒して頂くには及びません」
ただ控えめに辞退を示したレオニスに、握ったペンダントの紐を引くことで応えた。
引かれる紐に引き寄せられるように、たやすくレオニスは上半身を屈める。
「誰も治癒するなんて言ってない」
近づいた顔に囁いて、少し踵を浮かす。それで、届く。
氷のように冷たいかと思われたその唇は、傷のためか酷く熱く、少し乾いてかさついていた。
重なった時間は一瞬で、瞼を上げれば閉じもしない無機質な青と視線がぶつかる。
シオンがペンダントから滑り落とすように指を離すと、屈めていた身を起こした。紐の先にくくられたペンダントは定位置のように胸元に戻り、眉を顰めることすらしなかった。
「アンタ、つまんないぜ」
「……貴方に楽しみのために存在するわけでありません」
それでも、その声は少し憮然としていて。
口端を上げたシオンに、レオニスはほんの僅かに瞳を細める。解らないモノを見るような。
合格だ、とシオンは思った。

失望には期待が潜んでいる。
尊敬、羨望、妬み、蔑み…なんにせよ、名を呼ぶときに、対峙するときに、何らかの色が含まれる。好意にせよ悪意せよ、そこには自分への何らかの感情が存在する。
それすら、なかった。何も。空ろな。からっぽな。
それはシオンをシオンと認識すらしていないということ。だから、がっかりした。過った失望は誤魔化しようがなく、そうして、誰にでもそうなのだと、無意識に自分に言い聞かせることで、寂寥感をやり過ごす。
だというのに、溢れるほどの何かを、ちゃんとレオニスは抱えていて、その起因は一片も自分にはないのだ。
無視されるということに慣れていないシオンの、子供っぽい感情にいずるものだとしても。

「なぁ、その怪我治ったら手合わせしようぜ」
つまらないと言った口で、もうそんなことを言う。
自分を、見て。
喧嘩でも、飲むのでも、何でもいい。昨日見た、あの相手に感じたのはそれだけではないにしろ羨みに近い。
「お断りします」
「何で」
「手加減できません。怪我をします」
にべもない言葉は一辺倒だ。
その荒んだ瞳で、彼はどういう剣を振るうのだろうか。
カラッポのままで、ただ無機質に剣を閃かせるのなら、戦場の相手に少し同情したい。
そうでないといい。
シオンは楽しげに笑った。不機嫌の輪郭は消え失せて、その移り変わりは、レオニスには理解できない。
「いいぜ、それでも」
殴り合うほど怒らせたりとか、してみたい。
不可解そうに少し寄せられた眉根を見て、シオンはいっそう鮮やかに笑みを浮かべた。


―――


抜け出すところを見つかったのは失態だったが、それがアイシュだったのは不幸中の幸いだ。
後ろを振り向いてもついてくる者は居ない。
おそらく、どちらの方角に行ったかが分かる所まですら、追いかけることも出来なかった筈だ。
乱れた肩掛けを引き上げて、角を曲がる。騎士訓練場の大きな敷地が見えた。
傷の痛みは悪化している。当たり前だろう。眩暈がする。
塀に欠けて窪んだところがある。そこに足をかけて塀を越す。何でもないはずの行為さえ、痛みが頭まで駆け抜けた。
その先には窓がある。一番奥の部屋に通じる、大きな窓。

「…賊と間違われて斬り捨てられる前にお止めください、と以前申し上げた筈です」
着地と同時に踏ん張ることが出来ず蹲ったシオンに、低い声がかかった。顔を上げるとその手にはしっかり剣が握られている。鞘は払われてないにしろ。
「……うわ、勘弁しろよ」
「だったら賊のような真似をしないでいただきたい」
立ち上がれば、確実に縮んだ目線の差で、シオンが笑みを浮かべる。レオニスは対照的に眉を顰めた。
「私は忙しいのですが」
何用だ、そんな冷たいあしらいを含んでいる。肩越しに見える執務卓には、書類が山と積んであった。シオンに届かない書類のしわ寄せが、あるいはこういうところに来ているのかもしれなかった。
「ああ、知ってる。どれだけ間があいても、友人の顔も見にこれないほど忙しいんだよなぁ?」
「……お元気そうで何よりです」
減らず口に更に深くなった眉間の皺が誰が友人だと言わんばかりだったが、溜息混じりの通る声が静かに告げて、踵を返した。当然のように、シオンは後に続く。
「安心しただろ?」
「そうですね。ついでに怪我も治っていれば完璧でしたが」
ちらと肩越しに寄越した青の瞳に肩を竦めて見せる。やはり知っていた。感情を引き出して見たくて過去色々といらないちょっかいを出した。結果、周囲にはどちらかというと仲が悪いように思われているから、もしかしたら聞き及んでいないのかもしれないとも思ったのだが。
「ここに捜索の手が伸びる優先順位は最後でしょうね」
追って部屋へと入ったシオンの横で、窓を閉じたレオニスがそのまま外を見上げるようにして呟いた。似たようなことを考えていたのだろう。
「見舞いにも来ないくらいだからなー」
「…根に持ちますね」
「そりゃあな、しつこい位じゃないと、あんたには伝わらない」
シオンへと一度視線を流して、レオニスはカーテンをも閉ざした。しつこさの賜物は大きい。
シオンは非常に飽きっぽいという自覚がある。そういう意味では、レオニスは二重三重に相性がいい。相手にとっても同じかどうかはともかくも。
「シオン殿。お座りください。顔色が良くない」
振り返ったレオニスが、改めてシオンの顔を見て眉根を寄せた。陽の下で見たときより一層青白い。
どうりで眩暈が酷くなってきた筈だ。
そんなことを暢気に考えながらも、シオンは傍に立ったまま動かず、ただ面白がるように笑みを浮かべる。
「こういうのって、なんか秘め事みたいでいいよな」
「叩き出しますよ」
「……出来ないくせに」
少しやりかねないと思った。そう返したのはシオンの希望が含まれている。
レオニスは少し黙り込んだ後、口を開いた。未だに、こういうときの感情は読み取りにくい。
「…ベッドに叩き込みます」
「いつになく積極的だなぁ?」
「……」
「嘘ですごめんなさい」
瞳が眇められ、確実に下がった体感温度にシオンは即座に謝った。
せっかく訂正してくれたというのに、前の案を実行されかねない。
それでもシオンは嬉しそうに笑った。そういう脈絡のなさは、いつまでたってもレオニスには理解できない。怪訝そうに追ってくる視線にひらひらと手を振りながら、ソファへと向かう。これ以上は流石に、蹲ってしまいそうだった。
倒れ込むように腰掛けると、衝撃に腹に痛みが走るが、身体は楽になった。振った手を手招きだと思ったのか、単に話す距離を計っているのか、レオニスが近づいてくる。
「……こういうのって、いいよな」
「何がですか」
ちっとも良くない。そんな声が聞こえてきそうな声音。また同じ内容を繰り返すことを警戒している。
傍で立ち止まったレオニスが、その先を少し戸惑う素振りを見せて、結局立ったままシオンを見下ろした。
「レオニスが、ちゃんと俺を見てる」
肘掛に肘をついて、その手に頬を預けるようにして青い瞳を見上げる。
「まるで普段、見ていないかのような言い方ですね」
基本的にレオニスは話相手の目を真っ直ぐに見る。心外だと言いたげだった。
「昔はな」
昔、そう言ったとたん、レオニスは僅かに顔を顰める。どの辺を想像しているにしろ、あまりいい思い出で無いことは間違いが無かった。
自分の事も、シオンの事も。だって、良い印象より、悪い印象をつける方が楽だった。それは少し後悔している。まさかここまで執着するとは、シオン自身想像していなかったのだ。でも結局それしか方法は無かったかもしれない、とも思う。
ペンダントはやっぱり胸元で揺れている。手招きをすれば、レオニスはたいした躊躇いもなく身を傾けてくる。手を伸ばして首へと回した。
「ちょっと、心配になったりしたんだよなー。キスとか何だとか、誰に何されても抵抗しないで受け入れるのかね、とか」
「…貴方以外にああいうことをするような者がいてたまるか」
それでシオンがどの時点を指しているか明確になったのだろう、返す声は本当に憮然としていて、シオンは盛大に笑った。
あの時は、純粋に苛立ちと好奇心が其処にあっただけで、そういう複雑な感情が存在したわけではなかったけれど。
回した腕で引き寄せると、レオニスは少し往生際悪く迷ったような色を浮かべた後、瞳を閉ざした。夜を映す、空色の。


ソファの上で寝入ったシオンを見下ろして、レオニスは溜息を落とす。
気絶したかと焦れば顔色は悪いが安らかに寝息を零していたりする。治癒も施してあるし、無理をしなければ差し障りのある傷ではないと聞いた。
ただ、たまにこういう意味不明の無茶をやらかすのが問題だ。
触れた唇も、首に触れた指も少し熱かった。傷が熱を持っているのだろう。
机の上に溜まった書類を一瞥して、仮眠用のベッドから掛け布を引き剥がし、眠るシオンの身体へと掛けた。起きる様子もない。
王宮の方に連絡を入れねばなるまい。一番穴場を狙ったんだろうとか、そういう理由で何とかなるだろう。
執務卓の椅子に腰掛け、書類の山から白紙の紙を一枚抜き取って簡単に書状をしたためる。ふと手を止めて、今は何の意識も向けてはこない男を見た。
いつもあの人を食ったような琥珀が自分を追っている。視線を返せば、いたずらに煌いて呑んだような笑みを浮かべる。そうでない時もある。たまに盗み見ると、何かを見透かすように細められていた。
自分の内側を見ようとしている。直感的にそう気づいて肌がざわついた。

とん、とペン先が紙にぶつかって、意識を手元に戻す。既にインクは紙に滲んでいて、レオニスは書きかけの書状を丸めて捨てた。
もう一枚引っ張り出す。どうせ内々の手紙だ、それでも堅苦しさが抜けないのは性分だろう。
書き直してもやはり堅い文面が紙上を占め、見切りをつけてペンを置いた。カーテンの隙間から程よい陽の光が床に落ちて溜まっている。
シオンでなくても、書類仕事など投げ出したくなるというものだ。
自分の思考に、レオニスは眉を顰め、そうして小さく笑った。
そうやって変わっていく。これまでも変わってきた。
胸に光るペンダントがその存在を変えるように。
変わらないものもある。
駆けつけてもう、なんて事は二度と。

「……見舞いになど行かせるな」
誰も聞く宛ての無い言葉は、部屋に溶け込んで消えていった。



End.



2004.12.18 颯城零
ありえないくらい甘…!目を閉じた所でモウダメダと思いました。
インディゴホワイトはインディゴを還元して無色にしたもので、これで布を染めて空気に晒して酸化させると、より濃い藍色が得られます。
この話はりんとさんに捧げます。