82.持ち出し禁止

「すみませんねえ。まだ、シオン様から書類が上がってきてないんですよ〜」

一斉に城内がせわしなく動き出して間もない時間、文官の集う官署で、泣きの入った声で眉を下げてアイシュはそう述べた。
魔導士は戦いのためにいるわけではない。
しかし戦となれば魔導士の力は不可欠であるし、騎士もまた戦だけではなく民の安寧を守るための存在である。
つまり、何かにつけ連携は必要なのだ。
レオニスは慣れたもので、またかとばかりに溜息をつく。
根無し草のシオンを椅子に座らせておくのは容易ではない。数刻の遅れなど慣れたものだ。
遅れればそれだけレオニスの仕事に皺寄せがくるが、目の前の相手は同じく被害者であり、責めるのは酷というものだろう。シオンが相手では。
「それではアイシュ殿、また夕方に取りに伺います」
未だ陽は中天へも昇っていない。
それだけあれば十分だろうと踏み、会釈とともに退出の挨拶に代えて妥協案を述べれば、アイシュはますます泣きそうに眉尻を下げた。
「それが〜…今日は絶対何もしないとおっしゃっていて〜…」
「なによそれー!」
アイシュの言葉を吟味するより先に、入り口の方から高い声が響いて返答を奪われる。
「魔法研究院の資料持って来いとか言ってたから、わざわざ!このあたしが!来てあげたのに何ストライキとかやっちゃってんのよ!」
振り返えれば忙しく文官が出入りする入り口のど真ん中で、メイが本を片手に仁王立ちしている。入り口の真ん中を塞ぐ言動も服装も奇抜な少女に、文官たちは迷惑そうな顔をするのも惜しむように両脇を通り抜けていく。
はっきり言ってレオニスには、身辺を引っ掻き回されるという迷惑度においてシオンに引けをとらない少女ではあるが、今回に限っては彼女に問題はあるまい。おそらく。
しかし、「ストライキ」とはなんなのか。異世界からやってきた少女は往々にして意味不明の単語を口にする。
「す、すみません〜」
アイシュはもう一押しでその大きな瞳から涙を零しそうな勢いで縮み上がった。
「もー!」
そんなアイシュの様子を見てメイは自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、大股で近寄ってくる。メイにしてもアイシュを責めるつもりは毛頭なく、ただ怒りのやり場に困っているのだ。
がし。
珍獣観察のごとく冷静に分析していたレオニスの腕を、メイが取る。
「……なんだ?」
「いくわよ、隊長さん!こーなったら意地でもやることやってもらおうじゃない」
鼻息荒く意気込んで、台風少女はそう宣言した。

出来ればかかわりたくない。
咄嗟にそう思ったレオニスではあったが、天災に抵抗する術など只人にはないのである。



「あれ、キール」
資料とレオニスの腕という大荷物を抱えたメイは、シオンの部屋の前に保護者の姿を見つけて立ち止まった。
キールはというと、お札を手に印を切りかけた手を止めて振り返る。
「メイ……お前また隊長殿に迷惑をかけているんじゃないだろうな」
ただでさえお忙しいのに、と小言は忘れない。メイは心外とばかりに膨れる。
「失礼ねー!またってなによ!」
(……まただろう)
コメントは差し控えたが、心の中で呟いておいた。
「で、お前は何をしに来たんだ?」
心中の呟きが通じたわけでもないだろうが、同情の視線を一瞬レオニスに向けてキールは本題に入る。
キールへと向きかけていた怒りの矛先は、その一言であっさりと目前の部屋の主へと戻った。
さすがに手馴れている。
怒りを篭めたメイの指がびしりとシオンの部屋の扉を指差す。レオニスには理解不能だが、おそらく魔法の類だと予想して取れるな不可思議な文様を描く札が扉に貼り付けてあった。
「シオンが今日仕事でいるとか言ってた資料をわざわざ持ってきたのに、本人はちゃっかり引きこもってるって聞いて抗議に来たのよ!」
「……分かった、俺がついでに渡しておいてやる」
「直接文句言わないと気が治まんないわよ。何?結界まで張っちゃってるわけ?!」
「そう、だから俺が後から…」
「丁寧に解除してやること無いわよ。こんなのぶっ飛ばせば……」
「馬鹿待て…!」
メイは今にも攻撃魔法を唱えようとレオニスから腕を放し、力強い呪術の言葉と共に扉を差した指先が空に印を刻む。
よもや筆頭魔導士の仕事が攻撃魔法でぱりーんもあるまいに。
逃げは騎士の矜持が許さないが、剣で相手を黙らせる以外の魔法の止め方などレオニスが知るはずも無く、結果として黙って成り行きを見守る羽目になる。「……危ないんじゃないか」はたから見るといっそ暢気なコメントである。
口でも塞げばよかったのかも知れないが、そこまで頭が回らない程度には動揺していた。


「だー!うるせー!!」
「シオン殿!」

あまりの騒々しさにシオン自ら天岩戸を開いたはいいが、まさにメイの魔法は放たれる寸前で。
「おわ!?」
レオニスの声に、反射的にシオンは仰け反るようにして魔法の軌道から逃れた。

ちゅどーん

いっそ爽やかな音と振動があたりに響く。
ぱらぱら、からからと破片が降り、開いた扉の向こう、シオンの室内は粉塵にけぶっていた。
「あ、あはははは」
「あははじゃない!この馬鹿!」
「何よ、シオンが閉じこもってるのが悪いん……」
開き直ったメイの言葉は最後まで続かない。キールの拳が頭上に降ったからだ。
焦げ臭い匂いが廊下にまで充満していく。シオンは渋い顔で惨状の部屋を振り返ってから、不機嫌さを隠すこともせず三人に視線を投げる。自室を破壊されれば誰だって嬉しくないだろうが、ぴりぴりとした気配の理由は他にある気がした。
廊下に響いた大音響にメイドや城詰めの騎士がぽつぽつと集まり始めていたが、震源地に集まる顔ぶれゆえか、遠巻きに様子を伺っているだけである。レオニスとて望んでここにいるわけではないのだが。
「強硬手段にも程があるんじゃないか?」
「こいつの不始末は俺からも謝ります。すぐに修理の技師を手配します。ですが、手段はともかく、メイの言うことももっともでしょう」
ぷっくりと膨れたままのメイを他所に、いささか棘を含んだ声でキールが答える。むくれていても殴られたことに対する抗議の声が上がらないのは、自分の非を自覚しているのだろう。
「大勢でお越しいただいたのはありがたい限りだが、あいにく今日は開店休業だ。帰った帰った」
壊れた入り口の壁に背を凭れかけたまま、シオンはにべもなく犬を追い払うような手つきでひらひらと手をひらつかせた。
「そんな言い分が通るとお思いですか」
キールの心底呆れた呟きは戸惑いを含んでいる。
おそらく同種の戸惑いをレオニスも感じていた。シオンが子供っぽい我侭を繰り出すのは珍しくないが、自分のやるべき領域は見極めている。しかし、今日の彼は明らかにそのラインを踏み越えていた。
シオンはこれまたむっつりと子供のように視線を逸らし、その目がちらりとレオニスを辿る。
この場でまだ発言をしていないのはレオニスだけで、それを脇目に何か言ってくれと言わんばかりのキールと目が合った。メイは相変わらずそっぽを向いたままで、自分の発言で事態が好転するとも思えなかったが、雰囲気に押されて溜息とともに口を開いた。
「理由があるのなら、それを伝えていただかなければ、皆が困ります」
シオンがこうまで頑ななのには何かがあるのだろう。
声をかけてもシオンはまだ余所から視線を戻さない。
「なんだよ。笑いたければ」
自虐的な物言いがぱたりと止まる。シオンの目がこちらを伺うようにこちらを見た。
「……何ですか」
「体調が悪い」
レオニスは眉を顰めた。明らかに続かない言葉で、シオンは辛うじて焦げた扉に残ったノブに手をかけ拒絶の意思を見せる。聞いてないのか、とその唇が音を刻んだような気がした。

「嘘ばっかり。どーせシルフィスにフられたんでしょ」
「―――…」
壁にはぼこんと大きな穴が開いて扉が役目を果たすかどうかはともかくも、再び部屋の中に立てこもろうとしたシオンの背にずっと不貞腐れていたメイの呟きが届く。
負け惜しみに近い響きではあったが、シオンの動きとともに一瞬でその場は凍りついた。振り返った琥珀の目が笑っていない。
レオニスはキールに向かって手を差し出した。
「キール、渡すものをこちらに。メイを連れて行け」
「……わかりました。ほらメイ!行くぞ!すみません、お願いします」
「あ、ちょっと!?何すんのよっ!!」
「まかされた」
キールは不穏な空気に気づいていない約一名の手から資料を取り上げて、自分の分とあわせてレオニスへと手渡す。
受け取って軽く顎を引くとキールは心得たようにレオニスへと会釈し、声を上げるメイを引きずって廊下の向こうへと消えた。それを追う二人の視線から逃れるように、集まった人々も波が引くように廊下の角や窓辺から引っ込んでいく。
「……今、どっちを庇った」
「シオン殿です」
「どうだか」
即答するころが怪しいとシオンは嫌そうな顔をした。不敵に笑ってごまかす余裕もないらしい。
珍しい。こんなことで、この男は簡単に踏み越えてしまうのか、と意外に思ってから、自分を振り返って寒気を感じた。
忘れかけた感情に鈍く胸の奥が痛む。同時に安堵する自分もいる。人が人であるがゆえの感情なのだろう。結局のところ。
「傷心に浸る僅かな時間も許されないのか、俺は」
「それはご自分が一番理解しておいでかと思いますが」
再び入口に寄りかかるように対面したシオンは、片眉を上げてレオニスを見る。
しかし、とレオニスは三人分の仕事を差し出した。
「僅かな時間で整理できる程度の気持ちなら、そもそも大したことではないでしょう」
シオンはぽかんとあっけに取られたようにレオニスを眺めた。天井を仰いで、言動を思い返してらしくないと思ったのだろう、照れ隠しを含んだように突然笑い出した。
「あっはっは、そりゃそうだ」
ひとしきり笑って、ひょいと肩を竦める。瞳の奥は、案外さっぱりとしていた。
「いいのか、またうろちょろしても」
「騎士団は秘密組織ではありません。どうぞご自由に。ですが、仕事の邪魔をしたりやるべき事を放り投げる方は、シルフィスは嫌うでしょうね」
さらりと答えれば、シオンはお手上げとばかりに両手を肩の脇に当てて見せ、苦く笑いながらレオニスから差し出されたものをひったくる。
「わーったよ!昼過ぎに取りに来い」


シルフィスは強いが、性を持たないためか少々男性(もしくは女性)に対して純粋培養の気がある。
男を見る目がないのか、もしくはありすぎるのか。シオンに惹かれているのは明らかだ。
余所から見れば呆れ返る食い違いなんだろう。シオンはそれも見分けられないほど腑抜けていただけだ。

シルフィスは有能な部下だ。
この1年近く、親里を離れたシルフィスの後見人として、傍で成長と苦悩を見守って来た。稀有で線の細さを感じさせる容姿ながら、厳しい訓練にも境遇にも真摯に立ち向かう姿は、人々の心に癒しを与えた。可愛くない筈がない。
その可愛い部下が、「シオンはどうだろう」とレオニスに問えば「やめておけ」と即答するだろう。
決めたというのを邪魔まではしないが、渋い顔くらいはする。
幸せの基準は人それぞれと分かっているが、シオンが相手では「世間一般的な幸せ」は望めまい。
女性へと分化すれば騎士としての障害とて更に増す。
シルフィスへ好意を持っている者ならば他にもいるだろう。よりによって、シオンを選ばずとも。
シオンはシオンで、人を食ったように本音を見せず、人間関係も仕事関係ものらくらと逃げ回る。あげくにレオニスにまで届いてくる噂だけでも女癖が悪いと知れる。
これほど賛成できる要素の少ない相手も珍しい。
可愛い部下の、世間一般的な幸せを望んで何が悪い。
だというのに何故、嫌味の一つも言わず、シオン本人を励ましているのやら。
これが救いのない馬鹿男なり、シルフィスを騙しているのであれば、切り捨てることもできように。


笑いたければ笑え。
それはこっちの台詞だ。



少々の自己嫌悪と疲労を感じながら騎士団へと戻ると、訓練場が賑わっている。
執務室に篭ろうと思っていた足を向けると、長身の姿を認めたガゼルが転がり出てきた。
「隊長ぉ〜」
「……どうした」
嫌な予感がした。
訓練場の真ん中で模範刀を握っているのはシルフィスで、それを遠巻きに見習い達が囲んでいる。どの顔も疲労が滲んでいた。
「シルフィスの奴、朝っからぶっ通しで立ち稽古やりっ放しで、その剣が荒れてるのなんのって…止めてくれよ〜」
普段なら毎度の事ながらなってない言葉遣いの一つも注意を入れるところだが、ガゼルの息は完全に上がっていて、何よりシルフィスがまだ剣を降ろす様子がない。
レオニスは見習いたちを掻き分けてシルフィスの前へと進む。少し怯んだ様子は見せたものの、見上げてくる若葉色の瞳は強い。荒んでいるとうより、拗ねている目だと思った。
どこかで見た感情の色に似ている。
「シルフィス、剣を降ろせ」
「まだ、やれます」
「馬鹿者。剣を持つ意味を忘れている者に、剣を握る資格はない」
はっとシルフィスが顔を上げて、剣を降ろすと同時に項垂れた。
追って、はい、と力ない返事が返る。
張り詰めた糸が緩んだように溜息の零れる一同に目を向け、レオニスが解散を伝えれば、気にするような様子を見せながらもぱらぱらと訓練場から散っていく。
ガゼルが相談なら乗るからな!と言い置いて出て行っても、シルフィスはその場で項垂れていた。
「……すみません」
「謝る相手が違うだろう。言い訳があるなら聞くが」
大体想像はつくが。と心で付け加えておく。
だんまりと口を開く様子がないシルフィスを見下ろして、レオニスは溜息を零す。
「シオン殿にお会いした」
筆頭宮廷魔導師の名を出すと、シルフィスは小さく身を揺らす。
「私はお前の上司であると同時に、ご両親からお預かりしている身でもある。甘やかすつもりはないが、胸につかえるものがあるのなら聞く事くらいはできるぞ」
それとも、そんなに私は信用がないか?
卑怯な言い回しだとは思ったが、そう付け加えるとシルフィスは顔を上げて首を横に振った。
「そんなことは!……だって、シオン様、訳が分からないんです」
「口説かれでもしたか?」
シオンの態度から考えればそんなところだろう。
「されてません!!」
即座の否定的な言葉は予想通り。しかしそこに含まれる感情は、照れ隠しではなく、憤りで。
いや、不安なのか、焦れているのか。
一言で表せるようなものではない。そんな顔が出来るようになったのか、と僅かな寂しさを感じたのは一瞬で、すぐに後悔に取って代わった。
「ただ騎士になるのやめないかって、言われただけです。誰にも膝を折るなとかいいながら、自分だけは要求を突きつけてくるのっておかしくありませんか!?」
言葉に出すと思い出すのか、口調が徐々に熱を帯びる。
一度堰を切ったら止まらない。しかも激昂したシルフィスは、自分の言が断片的で意味不明であることに気づいていない。
「それなのに、突然態度が変わったかと思ったら、愛を囁くだけで落ちるならとかなんとか言い出して、――いつ囁いたんですか!!」
―――意味不明ではあるが、なんとなく察するものはある。
夫婦喧嘩は犬も食わぬ、という言葉が頭を掠めた。昔の人はよく言ったものだ。


ああ。
レオニスは首を突っ込んだ我が身を呪った。


本当に、笑いたければ笑え。




End.

2006.11.19 颯城零
シオシルの場合の隊長ポジションってこんなかな、という。