92.伸るか反るか!
その背は広く、遠く。
剣を握ってもそう引けを取らない。
魔法を操れば、彼は単純に自分よりも強かった。
けれど―――

ほぼ時を同じくして、シオン・カイナスに本命が出来たらしい、との噂と、先日騎士として任命されたばかりのシルフィス・カストリーズが男性化した、という噂が王宮を騒がせた。


「それは、俺に対する返事と受け取っていいのか?」
噂の中心人物は当人の執務室で腰掛けたまま、上目遣いにいささか恨みがましい色を含ませて問うた。
不機嫌さを隠しもせず向けられる視線を、シルフィスは背筋を伸ばしたまま、何でもないことのように涼しい顔で受け止める。
今までもどちらかといえば少年と言える風貌だったが、幼さの輪郭を失いつつある。性を得て曖昧さを失った姿は一層凛と美しく、しかし確実に甘やかさは失せかけていた。
「あれ、男でも女でも構わないって言ったの、シオン様じゃないですか」
「言ったな」
「嘘だったんですか?」
「いや、本心」
想いを告げた時、未だ性別が決まらないことを引け目に感じるシルフィスに、別にどっちに変わろうと構わないと言ったのは、他でもなくシオンだ。
その言葉に嘘偽りはないし、今もその考えに変わりない。
執務卓の前に姿勢良く立ったままのシルフィスは、その返事をどう吟味したのか、少しの間黙り込んだ。
渡されたばかりの机上の書類に視線を落としてみても、文字列は意味を成して頭に入っては来ない。

「……なら良いじゃないですか」
「問題は結果じゃあない」
結果に至る要因だ。
シオンの言葉はその気質を表してか、婉曲的で要領を得ない。
「シオン様、もっと判りやすくお願いします」
数瞬躊躇った後、困ったようにシルフィスは浅く首を傾けた。少し、不安さも入り混じる。
「……想いを寄せた相手によっての影響が大きいんだろ」
「あ、はい、そうですが……」
曖昧な返事を返した語尾は更に不安定に途切れ、ああ、と漸く得心がいったように小さく笑った。
先程ちらついた不安さは、既に消え失せていた。
「心配しなくても、私はシオン様が好きですよ」
分化が遅れた、ということは、それが原因の全てではないとは言え、今まで恋愛を知らなかったということでもある。
その所為か、シルフィスは時折自分の感情を伝える事に臆面もない。嘘や誤魔化しも無い。
シオンは思わずシルフィスを仰ぎ、澄んだ翠の目を捉える。
「だったら、」
対するシオンのぶっきらぼうな言葉は多分に誤魔化しを含んでいた。足りなかった心の準備に。
「だって、男でも女でもいいんでしょう?」
それなら。シルフィスが浮かべる笑みは誇らしげだ。年上の威厳だとか、いい年こいてだとか、慌てふためいて誤魔化しを用意しても、もう頬に血の気が上るのをシオンは止められない。
「男の方が、お役に立てるじゃないですか」
「ああそうかよ」
シオンは机の上にぱたりと上体を伏せた。ならいいんだ、と素直にならないのは精一杯の虚勢だ。
場の主導権を渡してしまった時点で負けだ。頭上からくすくすと笑う声が届いて、シオンはそう心の中で呻いた。
「本当は少し、賭けだったんですよ。やっぱり女性でないと嫌だ、とか言われたらどうしようって」
「……シルフィスでないと嫌だ」
「はい」
顔は上げない。まだ、熱が引いた気がしない。
「シオン様がそう言って下さるから、家で帰る場所を守るより、貴方の隣でその背を守りたいと思ったんです。……ところでシオン様。顔上げてくださいませんか」
「嫌」
引くどころか益々血が上った気がする。恋する乙女は強いというが、別に女に限った事ではないらしい。

……だったら俺も強くなっていいんじゃないのか。

埒も無いことを考シオンは考えてみる。しかしシオンにとって事態が好転するはずもなく。
困りましたね、とちっとも困っていないような声と共に、さらりと柔らかな髪が自分の頬に触れるのを感じた。
陽に光を弾く蜂蜜色の髪が、見なくても瞼の裏に浮かぶ。
「シオン様」
声はシオンの耳元で聞こえた。やはり少し低くなったようだった。
本人が意図していれば尚更だ。
「顔を上げてくださらないと……襲いますよ」
「……ッ!」
シルフィスが身を引くと同時にシオンが弾かれたように顔を上げる。
その顔は笑みに引きつっていた。
「……いい度胸だシルフィス」
望むところだ、返り討ちにしてやる。
肩へ伸ばされた手から、シルフィスは逃げない。
逃げるつもりなら、シオンが闇の片鱗を覗かせた、あの時に逃げていた。
許さなくていいと言ったあの時に、逃げる機会は既に与えた。シオンもだからもう問うことはしない。


逃げたいと思うより、守りたいと思ってしまったのだから、仕方が無い。
自分より確実に強い、この人を。


「私で良いんですか?」
「……お前が、いい」



End.


2004.12.07 颯城零

祈りの続きではありません。
あっ、シオンシルですよ!