金色に輝く夢(2)
by 天羽りんと
足音を立てず気配まで消して動いているというのに、シオンの足取りはどこか軽やかだった。薔薇を抱えたシルフィスの姿が、脳裏に焼き付いて離れない。華のほころぶような微笑み。見たことのないシルフィスの顔に、滑稽な程動揺していた。だから、早々に退散してきたのだ。いつもならもう少し会話を楽しんでいただろうに。
「ちょっと、勿体なかったな」
思えば、シルフィスも少しばかり様子が変だった。
「……付け込むチャンスだったのかな」
ぼそりと最低なことを呟いて、シオンはどこまでも駆け引きめいた思考に苦笑した。今更、戻れるわけもないというのに。
花をもらえば、大抵の女は喜ぶ。
持っていく自分でもそれを理解しながら渡す。花は、束になると虚栄の塊だと思うことさえある。その美しさだけに純粋に惹かれる者など、そうはいない。今ではそう思ってる。
(……シルフィスぐらいだ。花のために、笑ってくれるのは)
思えば、自分自身あんなにも無心にただ相手の為だけに花束を作ったことなど、無かったような気がする。
媚びるようなどこか作りものめいた笑顔ならば、くさる程見てきた。向けられる視線で、何を期待しているのか、悲しいことに判ってしまう。もっとこの神経が鈍くできてたらよかっただろうに。尤も、ワイヤーロープ並の太さを誇るこの神経の意外なまでの鋭さなんて、きっと相手は判っちゃいない。判らせるような言動なんてした覚えもない。
まがりなりにも王宮の筆頭魔道士。今のシオンはそこからは、どうしたって離れられないのだ。
「昔はよかったよなぁ……」
貴族の名なんて、知らない土地にいけばいくらでも隠しおおせた。あの頃は、裏のない恋がまだ出来たのだ。本気の付き合いが面倒になったのは、いつからだろう? 微量の期待を裏切られ続けて、気付けば心ばかりが冷えていた。
恋愛ですら打算や駆け引き抜きには、考えられない。――否、それを恋愛と呼んでしまっていいのかは、甚だ疑問ではあったのだが――。
そんな人間に成り果てていた筈なのに。
シルフィスは、眩しすぎる。それは解っているけれど。
それでも。闇が光を請うように、焦がれてやまないのだ。
あの存在に。
翌日の午後、シルフィスは大通りに来ていた。シルフィスにしては珍しく買いたい物があったのだ。
日頃シルフィスはあまり街には来ない。賑やかすぎる場所は少し苦手だったし、ディアーナやメイと共に買い物に来ることはあっても、シルフィス一人で来るのは稀だった。一人で外出しても、人目を避けるコツぐらいは、漸く掴んでいたけれど。
だからこの日、取り囲まれるまで気付かなかったのは、全くもって不覚としかいいようがなかった。いつもなら、それ以前にもうちょっとはうまく避けられるのに。
考え事をしていたのがいけなかったのだろう。前夜の鮮明な記憶に囚われていた自覚くらいはある。それほどに彼を意識せずにはいられない。いつからなのだろう。こんな気持ちになってしまったのは。おちゃらけたように見せかけて実は冷たい人なのかと思っていたのに。最近はそうともいえないような気がする。まだ恐らくは複雑に覆われた彼の心のかけらすらも見せてはもらっていないのだろう。その奥に隠された心を、見てみたいと思ってしまう。
「はぁ……」
溜息と共にはっと周囲を見回した時、およそ個性の見当たらない定番のゴロツキ達がシルフィスの前に立ちはだかっていたのだ。
「……なんですか?」
いい加減こんな展開には慣れている。シルフィスはどこまでも冷静だ。呆れたようにただ静かに身構える。
「よぅ、美人さん」
「そんなコワイ顔しないでよ」
「申し訳ないが、私は忙しいんだ。他を当たってくれないか?」
硬質の声音に、男達は顔を見回して更に一歩シルフィスへ近づいた。
「シルフィス」
シルフィスが応対しようとしたその時、いつもと何ら変わることのない声で名を呼ぶ声がした。
すらりと天から差し延べられた腕。
「おいで」
囁くよりも微かな声が告げる。それは、夢に似ていた。
一瞬の躊躇すらなく、当たり前のようにその腕を取っていたらしい。
気付けば、風にさらわれたのかと錯覚するほど自然に、その腕の中にいた。
「行こうか」
ただ、一言。まるで周囲の様子など目に入っていないかのように。それだけで他の全てを圧した。
「な、何だ、お前は!」
それでもなお愚かにも掴み掛かろうとした男は、音もない風の刃に行く手を阻まれた。
「無駄だ」
いっそ傲慢にも聞こえる冷たさで云い切って、シオンは振り返りもせずに立ち去る。当然のようにシルフィスを連れて。
蒼い長髪が、後を追うように静かに揺れた。
「あ、あの、ありがとうございました」
どこか現実味に欠けた気分のまま、シルフィスは頭を下げた。夢の続きの中にいるようだった。
「余計なことしてごめんな。手助け無用なのは判ってたんだが、」
苦笑いしながらシオンは飄々と続けた。
「俺の自己満足ってコトで許してくれよ」
「そんな、助けて頂いて……」
「あんな奴ら如きのために、お前のその手を穢すことはないから」
真剣な眼差しが、ただシルフィスへと注がれていた。
「シオン様?」
「だけど珍しいな、ぼーっとして」
その真摯さに驚いて振り仰いだシルフィスを躱すように、笑みを滲ませた声音が降ってきた。こうなると追及するのは難しいだろう。シルフィスは嘆息して確認した。
「見てたんですか?」
「いや、途中からだけど」
「……シオンさまのせいです」
ぼんやりとしていた様子を見られていた恥ずかしさに、筋違いと知りつつシルフィスは呟いた。
「それは嬉しいな」
「何故です?」
「俺のこと、考えてくれてたってことだろ?」
「……違いますよ」
シルフィスの反論は小さかった。
「そもそもシルフィスが一人で大通りに居るってのも珍しいよな」
たいてい姫さんやメイと一緒だろう?と言外に告げる。
「……ちょっと買いたい物があったんです」
「で、買い物は終わったのか?」
「まだですけど……」
「じゃ、行こう」
「シオン様もですか?」
「俺も欲しい石があるんだ」
「…………」
「俺と一緒じゃ不満かい?」
「いえ……」
「で、どこ行くんだ?」
「道具屋です」
「何だ、俺と一緒じゃないか。変な虫がつかないように、付いてくよ」
いつもの調子で皮肉めいた笑みを浮かべて、シオンはぽんと軽くシルフィスの肩を叩いた。それはシルフィスに先刻の肩を引き寄せられた感触を、思い起こさせた。
大切にされているのだ、と思わずにいられないようなそんな優しさで。それが、シルフィスの口を少しだけ軽くした。
「……花瓶が欲しいんです」
「え……」
シオンの余裕を刻んだ口元の笑みが、すっと引き締まる。
「……昨日の薔薇か?」
「……あれが入るような大きな花瓶なんて無いから……」
困ったように視線を外したシルフィスの耳元へシオンは囁いた。
「飾ってくれるんだ?」
「せっかくシオン様が摘んできて下さったのだし……。確か前にメイと行った道具屋に大きな花瓶があったようだったので」
「ああ、あるぜ」
シルフィスの素直さは、美徳だとシオンは思う。こんなにも素直な奴相手だと、シオンでさえ勝手が違う。それは、最初から判っていたことではあったのだが。
「……こんなに本気になっちまうなんてな……」
小さな呟きは、大通りの賑やかさにかき消えて、シルフィスまでは届かなかった。
「シオン様?」
「え? ああ、いや。なんでもない」
「そうですか?」
「あ、着いたみたいだな」
「早かったですね」
いつの間にやら道具屋の前まで歩いてきたらしい。ぼんやりしているのは、シルフィスだけじゃないってことだな、と内心で苦笑しながらシオンは店へと足を踏み入れた。
シオンの目的の石は魔法に使うかなり特殊なものだったので、既に予約してあった。他に必要な物をいくつか手にとって、シルフィスへと視線を移すと、困ったように何種類かの花瓶の前で首を傾げる姿があった。
「どうした?」
「ちょっと迷ってしまって……」
迷うという言葉に反して、シルフィスの目は一つの花瓶だけを見ているように、シオンには思えた。深く青いガラスのすらりとした筒型の花瓶。
何でそれにしてしまわないのか一瞬疑問に思ったシオンだったが、よくシルフィスを見てみれば、どうも迷うというよりは困っている様子である。
(そうか)
理由に思い当たって、シオンはさっと動いた。
「これでいいんだよな?」
「あ、でも、」
続けようとしたシルフィスの言葉を、あっさりとシオンは遮った。
「いいから。物はこれがいいんだろう?」
「そうですけど、」
「わーかってるって。何も言いなさんな」
ぽんぽんとその金色の頭に手を置いて、シオンは青く美しいその花瓶を手にとった。
「こいつは、昨日の薔薇とセットで俺からのプレゼント」
「ちょっと、シオン様!」
シルフィスの呼び掛けが聞こえないわけもないのに、シオンは花瓶を持ってさっさと店奥に消えた。
「……いいのかな」
あの花瓶は、シルフィスのお小遣いではとても買えない値段だった。シオンはそれを逸早く察してくれたのだろう。
強く断っては気分を悪くするだろう。おそらくシオンにとってはこんなことは些細なことなのだろうから。結局シルフィスは、複雑な顔をしたままそこで待っていた。
程なくシオンは包みを抱えて出てきた。
「こーら、そんな顔してんなよ。生真面目なのは判るが、気にし過ぎだ」
「……性分なんです」
「ほら、ミリエールも迷惑かけてるしさ。そのお礼ってことで受け取っておけよ。俺が一応それなりの稼ぎがある身だってことくらい判るだろう?」
「……はい」
「別に下心なんて無いからさ」
ニヤっと笑ったシオンに、シルフィスも漸く笑みを返した。
「シオン様だから、信用が無いんですよ」
「もし、」
(……本気だって云ったらどうする? シルフィス)
告げかけた言葉を、シオンはなんとか飲み込んだ。
その一瞬、息が止まるかと思うほど、シオンの視線は強く突き刺さった。シルフィスの胸の奥深くに。
「……シオン様?」
「いや、なんでもない。戻ろう」
極々自然に、花瓶の包みを手渡して、シオンはシルフィスを促した。
「ありがとうございます」
シオンの様子を気にしながらもどうしようもなく、シルフィスは礼以外に伝える言葉を見つけられなかった。
互いに互いのことを考えながら言葉は無く黙々と二人は帰路についた。別れ際にシオンは思い出したように告げた。
「そろそろミリエールが動くだろう。お前なら大丈夫だとは思うが、気をつけろ」
「はい」
「悪いな、面倒かけて」
「いえ」
珍しい言葉に目を見張ったシルフィスに、シオンは自嘲めいた口調で吐き捨てた。
「後悔してるよ。今更だが」
「シオン様……」
らしくない様子に驚くシルフィスに、シオンは淡々としたまま踵を返した。
「いずれ判る。またな」
「今日は、本当にありがとうございました」
慌てて叫んだシルフィスに、シオンはひらひらと左手を上げて応えたのだった。
そしてミリエールとの一件の後、シオンは結局シルフィスに騎士になることを勧めた。理由を問うシルフィスに、シオンは初め云いにくそうにしていたが、やがて諦めて話し始めた。
「結局、俺のわがままなんだって」
「……それだけじゃ判りませんよ」
「俺は、お前が相手が誰であれ膝をつく姿なんか見たくないし、守ってやりたいと思ってる。……だけど、自分でも矛盾してるとは思うんだが、剣を持ってるお前も好きなんだよ。目標に向かって一所懸命になってるお前は、輝いてる。それを止めさせるのは、俺のエゴでしかないんじゃないかと思ったんだ」
珍しくも真剣な表情で、シオンは淡々と告げた。
「シオン様……」
言いたくなかったのだろう。シルフィスから視線を逸らしてシオンはそれでも続けた。
「俺は、お前に夢を見てる。だからお前の夢の先には、きっと俺の見たいお前の姿がある筈だ。お前は俺が守る必要なんか無いぐらいに強い。そして精一杯弱い者を守ろうとする。俺なんかと違って全く打算抜きにだ。その凛とした心の輝きを、いつまでも失って欲しくない」
「買いかぶり過ぎですよ。」
照れたように僅かに赤くなって、シルフィスは続けた。
「騎士になるのをやめないかと問われた時、私は、貴方を選んだ。それは、本当に私がそうしたいと思ったからです。それでも例え帯剣は許されなくても、貴方の足手まといにはなりたくない。そうは思っていました。私にも力があれば、何らかの形でシオン様を助けられることがあるかもしれないでしょう?」
「シルフィス、俺はな、お前が自分の身も顧ずに誰かを守ろうとした時、そんな一瞬にお前の近くに居てやりたいんだ。俺は多分、セイルがいる限りはこの国にいるんだろうから、お前がこの国に居てくれるならば、それでいいさ。騎士になって輝くお前も見てみたいんだから。ずっと幻だと思ってた夢を、お前を通して見ていたい」
「シオン様……」
翡翠の眼差しが、驚いたように見開かれていた。
「どうだ? お前の夢を見せてくれよ」
「……はい」
眩しい程の笑顔のシルフィスに、シオンはそっと口付けを落とした。
俺の中のお前は、そういつだって輝いてる。
美しい金色の夢。甘いだけではないかもしれない。
それでも、もう幻ではない。
そう、この腕の中に……
Ende
後書きという名のいいわけ一応ゲームストーリーをベースにしてみましたが。個人的に、シルフィスは騎士になって欲しいのでこういう形になりました。終わり際にゲームのEDイベントが入るくらいのカンジなんで、骨董屋デートの後くらいの親密度の設定で書きました。
本当は自分なりにミリエール事件とその間の二人の心の動きとかもちゃんと書くべきだったんでしょうねぇ。尻切れトンボで申し訳ないです。もうちょっと手入れしようかと思ったんですが、直すとするとちょっとの量じゃないんで、諦めました。ほぼ4月発行の本から変わっていません。これを大幅に書き直すよりは、新しく書いた方がいいかなと思いまして(^^;)
こんな話を長々と引き延ばしてしまってごめんなさい(^^;)
次はもうちょっと精進いたしますので、見捨てないでやって下さいませ(ぺこり)
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