想いの花








   ……それは、一瞬の出来事だった。










 万聖節を控えて一際賑やかな大通り。

 前を行くシオンを見つけ、人ごみの中足を速めた自分と同じ様に足を速めたもう一つの人影。その手が握る、鈍い光を放つモノに。

「あぶないっ!」

 気付いたときには、もう体が動いていた。止まらなかった。
 走り込む、足よりも早く腰に差した剣を抜き放ち、シオンと、シオンに駆け寄るもう一つの影の間に我が身を割り込ませる。

 −−−−キンッ!

 かまえた剣が弾く禍々しい光。
 自分を見下ろす、恐ろしいほど無表情な瞳。
「っ!」
 間髪いれず再び打ち込まれる剣を受け止めて腕に力を込める。
 一瞬でも気を抜けば、この身は両断されてしまうだろう。そう思う程の気迫。
 かわす切っ先に、指先にまで緊張感を張り巡らせながら、けれど何処か冷静に相手を見据える自分がいる。
 最初の一撃から、この男には魔法を使う気配がない。それは、シオンを相手に、ただ剣のみで相対しようとしたということ。
 シオンをその程度の獲物だと見くびっている、人間。

 ‥‥彼女は、こんなものではなかった。

 思い出されるのはダリスの王宮。昼なお暗い、澱む空気の凍てついた地下通路で、彼女と自分は向かい合っていた。
 それぞれが信じ求めるものの為に交わされた刃と命。彼女は自分よりはるかに技量があり、なおかつ一切容赦などしなかった。
 あのとき自分が生き残れたのは、単に運の問題でしかない。彼女が信じたものではなく、自分が信じたものに天命があっただけのこと。
 あの一瞬に比べれば、こんなものは物の数ではない。
 幾度目かの打ち合いに、相手にかすかな苛立ちが生まれる。それは、こんな子供のような相手に手間取る自分に対するものか。
 その隙を、見逃すシルフィスではなかった。
「‥‥ぐぅっ!」
 長い長い一瞬の後。
 光が宙を舞い、鈍い音と共に剣が地面へと突き刺さる。
「……終わり、です。」
 丸腰となった男の咽喉もとに剣先を構え、シルフィスもようやく息をつく。
 と、同時に周囲の喧騒がその耳にも戻ってくる。
 巡回中、急に駆け出した自分を追ってきた同僚に男を引き渡して、ようやく後ろを振り返ると、満面の笑みをたたえたシオンと目が合った。
「‥‥‥‥シオン、様?」
 あまりに現在の状況からかけ離れたその態度に、かくんと力が抜けそうになる肩を何とか支えて、その笑顔に問いかける。なのに。
「いや〜、
 美人に守ってもらうってのもいいもんだよな。」
 返ってきたのは、とろけた笑顔よりも更に緩みきった台詞。
「…………、」
 さすがに二の句がつげないでいるシルフィスをそっと自分のもとへひき寄せて、シオンは未だ剣を握り締めたままの手の甲に口づけた。
「‥‥ありがとな、シルフィス。」
「シオン様、」
 やけに穏やかなその声に、シルフィスも分かってしまう。
 シオンの、決して見せようとはしない優しさを。
 だから、シルフィスはわざと大仰にため息をついて剣を鞘へと戻した。
「いいんですよ。
 これも、私の役目ですから。」
「‥‥冷たいっ
 冷たいぞシルフィス!」
「きゃあっ!
 シオン様っ」
 今度は抱きしめてくる腕を力いっぱい押し返しながら、シオンの、深い光を湛えた瞳を真っ直ぐに見返す。




  ‥‥分かって、いるのだ。


    この人に、護り手など必要ないのだと。

    分かっているのに、それでも
    護りたいと思ってしまうこの気持ちさえ。

    私は許され、護られてしまう。



 追いつけなかった同僚とは違う。私が決着をつけるまで、この人は手を出さないでいてくれた。
 それが分かっても、シオンが何も口にしない以上シルフィスもまた問いただすことはできない。
 結局、この想いはシオンにとって足手まといにしかならないのではないだろうか、と。

「……、」

 自分を見上げる綺麗な瞳が微かに曇るのを、シオンは微苦笑と共に受け止める。

『本当に、分かってるのか』

 想うのは、決して口に出せない、生涯出すつもりもない言葉。
 確かに、シオンには全てが見えていた。自分を狙う刃の存在も、自分に向かって駆けて来たシルフィスの足音も。
 反応しようと思えば、自分には簡単にできた。‥‥だが。
 凶刃の前に、一瞬もためらうことなく差し出された細い体を、微かな痛みと共にシオンは受け入れていた。自分の為だけに、ただ自分を護るためだけに目の前の小さな存在は己が全てを賭けてくれる。


  それがどんなに面映く、甘い痛みをもたらすものか。


 シオンだとて、シルフィスを護りたいと思う。本当は自分の為になど、毛一筋ほどの傷もつけたくはない。
 それなのに。この幼いほどに真っ直ぐな翠の瞳は、護るものを間違えることをシオンに許さない。
 だから、シオンはシルフィスを抱きしめる。
 シルフィスが護ってくれたこの腕で、何よりも護りたい、この魂を。




「もうそろそろ、放してもらえませんか。
 私も巡回に戻らなければ。」
「や〜だよ。」
「シオン様っ!」
「そんなの、他の奴らに任せておけよ。」
「そういうわけにはいきませんっ」


 状況を知った上司がシルフィスを迎えに来るまで、大通りには緊張感のかけらもない悲鳴が響き渡っていた。












    自分を失うことを、許さない。



    為すべきことも、
    為さねばならぬことも

    この胸の、内にある。


    それでもなお、ただ一つだけ

    心のままに、触れるもの。



    打算もない、何の役にも立ちはしない、

    ただ、心の赴くままに。



    密やかに花開く、小さな花。





    そんなものがあっても、きっといいのだろう。




    ‥‥‥‥きっと。








saipokoさんから頂きました!
颯城のシオンシル絵を見て書いて下さったそうです。えへー。
お互いがお互いに甘えてるところが大好きです。
saipokoさんの素敵サイトはこちら

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