NE・GA・I 2
SCENE 4
 
「リュミエール?」
 クラヴィスがジュリアスの執務室より部屋に戻ると、扉の前には水の守護聖が佇んで、彼を待っていた。
「クラヴィス様。どちらへ?」
「探させたか、すまぬな」
 部屋の中に入るようにリュミエールを促しながら、クラヴィスは苦笑交じりに返答した。
「少し、ジュリアスに話があってな」
「……ジュリアス様に?」
 足を止めたリュミエールにソファーを勧め、自分も向かいに腰掛ける。
「仮面を外せと、云ってきた」
「クラヴィス様……」
 驚いたように向けられる水色の瞳に、クラヴィスは淡々と言葉を紡いだ。
「そのように驚かずともよい。みすみす不幸になると判っているものを、放っておく気にはなれなかったのだ。……同じことを繰り返すこともあるまい」
 クラヴィスの深い紫水晶の眼差しが、そっと伏せられる。息を飲むリュミエールの前で、日頃よりも幾分低い声音でクラヴィスは呟くように続けた。
「愛しい者が、己よりも女王になることを選ぶ。その辛さを、私は誰よりも判っているので、な。……そしてアンジェリークには、一番選びたい道を択って欲しいと思うのだ」
 とても放ってはおけなかった、と告げるクラヴィスの瞳の影が、リュミエールを悲しませた。深い瞳に宿る一筋の陰り。けれど、その瞳はどこまでも澄んでいた。その静けさに潜む闇は、それでもいつもよりも穏やかなものであるように思えて、それが僅かばかりの救いであるようにリュミエールには感じとれた。
「……そうですね。アンジェリークには、幸せになってほしいですね」
「ああ」
 それ以上掛けるべき言葉は見付からず、リュミエールは静かにハープを手にし、楽を奏で始めた。少しでも、この淋しい人の慰めになれば、と願いながら――――



SCENE 5
 
「ジュリアス様、おはようございます」
「ああ、アンジェリークか。良い所に来た。私も話したいことがあったのだ」
 数日ぶりに見るアンジェリークの笑顔が眩しくて、ジュリアスは無意識に微笑んでいた。朝日を浴びた光の守護聖の、ふわりと、存在そのものの輝きが増すかのような微笑みに、アンジェリークは知らず顔を赤らめていた。
「で、今日は何の用だ?」
「……あ、ハイ。育成をお願いしようと思って……」
 慌てて告げられた言葉に、ジュリアスはクラヴィスの言葉を思いだし、大きく一つ息を吐いた。
「育成か。お前は、女王になりたいのだな」
「……はい」
 言葉と裏腹に、アンジェリークの表情は明るいものとはいえず、むしろ何かを悩んでいるように見える。それが納得いかなくて、ジュリアスは微かに眉を潜めた。
「ならば、何故お前はそのように暗い表情をするのだ。何か、悩んでいることでもあるのか?」
「……ジュリアス様。私にはどうしても叶わないねがいが、あるんです」
「それで?」
「でも、諦められない。……諦めたくない。だから、だからそれを、少しだけでも叶えるために、女王になりたいんです」
 ひたむきな眼差しをジュリアスへ向けて、アンジェリークは精一杯云った。
 女王になれば、ずっと一緒に居ることはできないけれど。それでも、同じ方向を向いて歩くことができるから。その存在をかんじていけるから……。だから、女王になりたいのだ、と伝わらない想いを言葉に込めて。
「言葉は、役に立たんな。こんなにも、お前が気になるというのに、私にはお前の気持ちが判らない。お前の望みならば、何でも叶えてやりたいと思うのに……」
 たまらない、といった辛そうな表情で告げて、ジュリアスは真っ直ぐに、アンジェリークの瞳を見つめた。
「……ジュリアス様」
 向けられた紺碧の空の瞳の透明さに、アンジェリークはどきりとした。吸い込まれたかのように瞳が離せない。そして意識せぬままに唇は言葉を紡いでいた。
「ジュリアス様の光を、私に下さい」
「アンジェリーク?」
「力が有れば、私の願いは、……叶うから。ジュリアス様の光の力を手にしたら、女王になっても寂しくないかもしれないから」
「アンジェリーク!」
 思いがけない言葉に、ジュリアスは驚いて、椅子から立ち上がった。
「駄目ですか?」
「アンジェリーク、」
「そうですよね。私なんかに、女王なんて無理ですよね。すみません、忘れてください」
 ジュリアスが言葉を返す前に、アンジェリークは踵を返しその場を離れようとした。
「待て、アンジェリーク」
 焦ったジュリアスはアンジェリークの二の腕を掴んだが、アンジェリークはそれを振りほどいて叫んだ。
「いいんです。もう、放っておいて下さい」
 アンジェリークの頬を伝う一筋の雫に、はっとしてジュリアスは行動を止めた。その隙にアンジェリークは駆け出した。
「アンジェリーク!」
 ジュリアスの声も、女王候補の足を止めさせることは出来ない。
 後にはただ一人、ジュリアスが残された。
「アンジェリーク。私はどうしたらよい? お前に一体何がしてやれる?」
 呟きは風に消え去り、輝きを潜めた光が揺れていた。


(女王陛下にお会いしなければ!)
 アンジェリークは、次元回廊を通って、主星の女王陛下の宮殿へ向かおうとしていた。何もかもが解らず、錯乱する意識の中で、とにかく女王に会おうという気持ちのみが彼女の心を支配していた。女王に会って、唯一人のことしか考えられない自分には候補としての資格が無いかもしれないという不安を話して、これからの行動を示唆してもらおうと、思っていたのだった。
 しかし、回廊の途中で、不安定な意識が道を迷わせてしまったらしく、いつまで経っても目的地へ到着することは出来なかった。
「え……」
 アンジェリークが異変に気付いたのは、かなりの時間が経過した後だった。それまで自身の考えに没頭していた為に、気付くのに遅れてしまったのである。
「ここは一体……」
 深淵の闇に包まれた回廊の中で、あるべき光は見当たらない。それでも浮遊し、どこかへと向かってはいる。いつもならば、常に目的地を示す光が見え、それは決して失われることはない。
(変だわ……)
 不安にアンジェリークが叫びそうになった時、すうっとスピードが落ちた。とにかくどこかへ止まれるらしい。ほっとしたその時、闇の中、どこからともなく低い呻くような声が聞こえた。
「オマエノ、チカラヲ、ヨコセ!」
「きゃーっ」
 身体は止まったものの、周りに光は無く、アンジェリークは恐怖の余り震え出しながら、声のする方向を探そうと辺りを見回した。
「オマエノ、チカラヲ、ヨコセ!」
「いやーっ!」
 逃げ場も無ければ、声の主が何処にいるのかも判らない。せめて、灯りがあったなら、とアンジェリークは必死に対抗手段を考えるが、よい案は浮かばない。
(どうしよう……)
「チカラガ、ホシイ!」
 ひたすらに力を求めるその声を聞くうちに、アンジェリークは自分自身の思考と相手のそれが同調したのではないかという可能性に気付いた。確かにアンジェリークは光の力を欲していたから。そして今、訳の分からぬ見えない輩を前に、一番求めてやまないもの。それも、光だった。
(今ここに、ジュリアス様が居て下されば……)
「チカラヲ、ヨコセ!」
「私は力なんて、持っていない! それがあれば、こんな所には居ない!」
 しつこく要求のみを押し付ける相手に、アンジェリークはとうとう云い返した。守護聖のような力があれば、こんな相手に困らせられることもない筈なのだから。
「ウソヲ、ツクナ。オマエハ、チカラヲ、モッテイル!」
「え?」
「オマエハ、ヒカリ、ニ、ツツマレテ、イル。チカラガ、カクサレテ、イルノダ。ヨコセ!」
「嘘だわ!」
「モッテイル、チカラヲ、ヨコセ!」
 アンジェリークが何かの気配を感じたのはいきなりのことだった。
「いやっ」
 アンジェリークがそれを避けようと身を捩ると、バシッ、と静電気が起きたかのような音がした。
「え?」
「ウッ……ヤハリ、ソウダ。チカラガ、アルノダ」
 今度はアンジェリークも直ぐには否定出来なかった。そうなのだろうか? 自分には、身を守れるくらいの力はあるのだろうか?
 本当は、試験なんてどうでもいい。大陸への愛着は少しはあるけれど。ジュリアス様への想いの強さとは、到底比較しえない。ただ、ジュリアス様と同じ時間を過ごすことが出来ればそれでいい。多くを望み過ぎることは、取り敢えず今はしない。だけど、彼に会うことも出来ない状態など、とても耐えられないから。だから、せめてもう少しの時間くらいは許されると思いたいのだ。
 その為には、こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。今は、戦わなければ。この見えない敵と。
「あなたなんかに、負けない。力は奪うものではない。本当の力は、心から生まれるものだわ。私は、そう思う」
「チカラハ、ウバウモノ。ソレ、イガイノ、シュダンハ、ナイ」
 低いその声ならぬ声が、一層低く剣呑な響きを帯びたことに気付き、アンジェリークは身構えた。
「ヨコセ!」
 一気に、先程とは比べ物にならないくらいの強い気配がアンジェリークに襲いかかる。
「きゃーっ!!」
 アンジェリークは、何とかその気を躱したが、はずみに、大きく身体のバランスを崩してしまった。
 倒れた先に、それはあった。アンジェリークが今最も必要としていた、それ。
(――――光! 光だわ!!)
 まだぼんやりとしてはいるが、確かにそれは光だった。
 深淵の闇の中で唯一灯るその光は、アンジェリークの心にも希望の光を灯した。
 アンジェリークに迷いはなかった。素早く体勢を整えて駆け出す。
「マテッ! ……ウッ、アレハ……」
 その声は途中で躊躇するようにとぎれ、アンジェリークの後を追ってくる様子もない。
 不思議に思ったアンジェリークは、ふと足を止めた。そこでアンジェリークは自分が動かずとも、光の方から近付いてきていることに気が付いた。
 だんだんと光の明るさは増していき、やがて目を覆うばかりの輝きとなって、アンジェリークをも包み込む。
 そして光の中から降りてくる金色に包まれた人影。
 あれは、誰だろう……?
 すごくキレイ……
 ぼんやりとその様を眺めながら、アンジェリークはその場に立ち尽くした。
 まるで天使のように光り輝いて降りてくるひと。
 ……ああ、ジュリアス様だ。
「アンジェリーク、大丈夫か?」
「……はい」
 こんな時だというのに、美しいその様には惹かれずにはいられなかった。アンジェリークは、少し遅れて返事をしながらも、ジュリアスから瞳を反らすことができないでいた。
「少し、そこで待っていてくれ」
 穏やかなジュリアスのその顔には、一瞬アンジェリークの無事を安堵する微笑が浮かび、次の瞬間には厳しい表情で遠巻きにこちらの様子を伺っている敵へと向き直った。浮遊する敵は、恐れと憧れの入り交じったような表情で、ジュリアスを見つめていた。
 ジュリアスはアンジェリークを背に庇うようにして前に進み出て、激しい程に厳しい瞳を敵へと向けた。
「アア、チカラ、ダ。オオキナ、チカラ……」
「光よ、我に従い、浮遊する魂を眠らせたまえ」
 ジュリアスの身体から光のサクリアが迸る。力を求め浮遊していた霊魂は金色の光に正面から吹き飛ばされた。
 天使は、ジュリアス様の方だ。ふいにアンジェリークは思った。
 まるで、熾天使セラフィムのように、苛烈な光を放ち、悪しきものを滅す。
 熾天使は、神に最も近いとされる最高位の天使だ。6枚の翼を持ち、剛くしなやかに羽ばたく天使。まさに、それは、光輝く守護聖ジュリアスにこそ似つかわしい。
 アンジェリークはジュリアスの背中を見つめながら、純白の翼がその背に見えるような気さえしていた。起きたまま夢を見ているような心持ちで、アンジェリークは霊魂の消えていく様を眺めていた。光の守護を受けながら――――
 

「アンジェリーク、大丈夫か? 怪我は無いか?」
「ジュリアス様、どうしてここが?」
 こんな空間の歪みの中だというのに、とアンジェリークは信じられないといった面持ちでジュリアスを改めて見つめた。
「お前は淡く光っていたのだ。だから判った。……我が司る力を、全て使い切っても、よいとさえ思った。お前さえ無事でいてくれるのなら」
 低いその声が掠れるほどに真剣に、ジュリアスは囁くように告げながら真っ直ぐにアンジェリークを見つめる。
「ジュリアス様」
 ジュリアスがそれ程までに心配していてくれたということが、アンジェリークにとって何より嬉しかった。これで十分だ。そう、思いたかった。
 それでも、心は貪欲にそのねがいを深めていく。それは、アンジェリーク自身で止められる範囲を既に越えていた。それが悲しくて、でもどうしようもなくて、アンジェリークは知らず一筋の涙を頬に伝わせた。
「アンジェリーク、やはり何処か怪我でもしているのか?」
 ジュリアスは、気遣わし気にアンジェリークの顔を覗き込むように身を屈めた。
「いえ、違うんです。ジュリアス様が来てくれたことが信じられなくて……。本当に、ありがとうございました」
 アンジェリークは何とか明るく笑って、涙を拭おうとして、その手首を軽くジュリアスに掴まれた。
「そなたに、涙は似合わぬ」
 そっとアンジェリークの目元へ、その指先が伸ばされる。頬にジュリアスの手が添えられて優しく雫を消される。至近距離で見つめる彼の眼差しは、優しかった。それが、泣きたくなるくらいに嬉しかった。このまま泣きついてしまいそうに、なるくらいに。けれどその行動は、彼に誤解させるだけだろう。アンジェリークは、何とか冷静になろうと一つ大きく息を吐いた。
「あの……さっきのアレは、何なのですか?」
「ああ、心弱き者の、浮遊し退廃した霊魂だ。彼らの最も求めるものは、光だ。しかし、それと同時に最も苦手としているものも光なのだ。あの魂は、アンジェリークの輝きに引き寄せられてしまったのだろうな」
「私が、考え事なんかしていたから、悪かったんですね」
「云いにくいことではあるが、女王交替の時期には、たまにあることなのだ。こんな時、回廊を渡る人間の心が不安定であると現れやすい。一瞬の心の隙を狙っているのだ。無事で、よかった。女王候補は、我々守護聖と違い、まだ力が完全に覚醒していない上に不安定だからな」
 常に冷静な光の守護聖が、外見にも安堵の表情を浮かべて、女王候補の少女を見つめる。
「ご心配をお掛けして、すみません」
「……いや、もうそれはよい。それよりも、アンジェリーク、そなたに聞いて欲しい話がある。取り敢えず、私の執務室へ来てくれないか?」
「……はい」
 なんだろう、とアンジェリークは内心首を傾げつつも、何やら真剣な様子のジュリアスに頷いた。女王陛下にお会いするのは、それからでも遅くはない。
 

 ジュリアスとアンジェリークは回廊を戻って、聖地へと戻った。
 ジュリアスは執務室の奥の部屋のソファーをアンジェリークに勧め、少し落ち着かない様子で、数瞬、彼女の横で足を止めたままでいた。
「ジュリアス様?」
 視線を天に留めて、凍らせたようにぴくりともその端正な顔は動かない。アンジェリークの掛けた声に、漸くはっとしたように視線を転じた。
「お前に、尋ねたいことがあるのだ」
 真っ直ぐに向けられる、その眼差し。綺麗だと、何度見ても惹かれてやまない。ぼうっと見とれるアンジェリークの横に、ジュリアスは腰を下ろした。
「アンジェリーク、私は、そなたの真実本当の気持ちが知りたい」
「……はい」
「やはり、女王に、なりたいか?」
 真剣な瞳、いつもよりさらに低く感じられるその声。アンジェリークは、一瞬強く瞳を閉じた。彼には、他の誰でもなく彼だけには、偽りなど云えない。そんな気がした。こんなにも真摯な態度で接してくれる彼に、気持ちを隠したり、ごまかしたりすることは、もう、出来ない。
 アンジェリークは決意して、大きく瞳を開いた。全てを告げて、その後のことはその後で考えればいい。今だけは、ジュリアス様のことだけを、想っていたいから……。
「……女王には、なりたくない、です」
 驚いたようにアンジェリークに向けられる視線。ジュリアス様は、どう思われただろうかと、不安になりながらも、もうアンジェリークは迷わなかった。
「だけど、そうしなければ、ジュリアス様と同じ時間を過ごすことは出来ないから……。女王にならなければ、私はジュリアス様を見ることもできなくなるかもしれないから。だから、だから、私は……」
 アンジェリークは、云うべきことを最後まで告げることは、出来なかった。何が起こったのか、すぐには判らなかった。それを意識した時、アンジェリークの目の前は金色の光に溢れていた。
「アンジェリーク」
 深いその声で、ジュリアスは愛しい少女の名を口にする。衝動的に身体は動いていた。
 たまらなかった。目の前の少女が愛しくて、愛しくて。自分でも意識せぬままに、ふわりと、その細身の身体を抱きしめていた。
 その一瞬、確かにジュリアスの中で、初めて守護聖としての理性を感情が越えていたのだった。
「ジュリアス様?」
 驚いたように向けられる瞳も、その髪も、全てが大切で。自分のことでアンジェリークを悩ませていたということが、とても辛かった。ジュリアスは、抱きしめていた腕をそっと放してから、口を開いた。
「そなたにだけは、私の気持ちを知っていてほしい。聞いてくれ」
「はい」
「知っての通り、私は、人から見れば考えられないくらい長い時間を、守護聖として生きてきた。そして誰も判らぬ光のサクリアが衰えるその時までを、女王陛下、唯一人に捧げて、一人で生きていくつもりだった」
 云ってはいけないのだろうけれど、寂しいとアンジェリークは思った。たった一人で、高い所にいる守護聖たち。彼らは、実はとても寂しい。特に孤高の人であるジュリアス様は……。
「だが、……だが、最近その考えが変わったことに気付いた。……そなたと、出会ったおかげだ」
「ジュリアス様?」
 伏せられた碧の瞳が、アンジェリークに向けられる。
「……お前のおかげで、私はとても大切なことを知ることが出来た。それは……人を想う気持ちだ。私は今、そなたという存在と出会うことが出来たことを、本当に嬉しく思っている。今、私にとって、最も大切な人は、」
 一瞬の間が、アンジェリークにとって、とても長いものに感じられた。意識もなく、心臓は鼓動を速めていく。
「アンジェリークだ」
 迷いなく告げられた言葉に、アンジェリークは息が止まるかと思った。
「ジュリアス様」
 自分は、何を云いたいのだろう。名前を呼ぶ以外、何も云えない。大きく瞳を見開いたまま、瞬きすら忘れてアンジェリークは真剣なその人をただ見つめていた。
「私は、まだそなたと同じ時を生きることは出来ない。だが、そなたが私と同じ時間を生きることは、できる。勝手な願いだとは思う。本来ならば、許されるべきことではないのだろう、とも思う。だが、私の気持ちに偽りは無い。そして、私はもうこれ以上自分自身をごまかすことは出来ない。一生にただ一度の光の守護聖の我儘だと思って、聞いてほしい」
 どくどくと、アンジェリークの心臓は限界を知らないかのように、速く打ち続ける。言葉を出すのも苦しくて、アンジェリークは大きく一つ息を吐いた。
「はい」
「アンジェリーク、私と共に生きる道を、選んではくれぬか?」
「……はい」
 綺麗な滴がアンジェリークの頬を伝っていくのを、ジュリアスは驚いて見つめた。
「……泣かないでくれ」
 遠慮がちに肩に伸ばされた腕の暖かさに、アンジェリークはポロポロと零れ落ちる涙を止める術を持たなかった。
「ごめんなさい、泣いたりして……」
 少し経って、アンジェリークが視線を上げるとそこには、困ったようにアンジェリークを宥めながらも、とても優しいジュリアスの瞳があった。どきりとしながら、アンジェリークは続けた。
「嬉しかったんです。ジュリアス様は、ずっと高いところにいらっしゃる方だったから……」
 まるで、天から天使が腕を差し伸べてくれたかのように……。
「すまなかったな。お前を、酷く悩ませた。私がもっと早くに告げていればよかったものを……」
「そんな、ジュリアス様は、悪くないです。私が一人で勝手に悩んでいたのだから……」
「これからは、私のそばに、居てくれ――――」
 アンジェリークの額に、暖かな光が灯った。



EPILOGUE
 
「他の守護聖達に、反対されるであろうか……」
 珍しくも気弱な響きを持つジュリアスの言葉に、オスカーは目を丸くした。
「大丈夫ですよ。ジュリアス様も人の子だと、皆歓迎しますよ」
「……そうであろうか?」
 アンジェリークが女王補佐官として聖地に残ることを女王は、快く承知した。女王が承知したことに文句など出る筈もない。珍しいジュリアスの様子に、オスカーは苦笑しながらも云い足した。
「既に、噂になってましたよ。ジュリアス様は、少し変わられたとね」
「変わった? 私がか?」
「はい。少し雰囲気が柔らかくなられた、と」
「……そうか。アンジェリークのお陰かもしれんな」
「そうでしょうね。流石、女王候補ですね。何者にも動じない光の守護聖をも変えてしまうなんて」
「…………」
 照れたように横を向いたジュリアスに、オスカーはくすりと笑って続けた。
「尤も、変わったのは貴方だけではない。……クラヴィス様が髪を切ったのを御存知ですか?」
「クラヴィスがか? 知らんな」
「あの方も、何かがふっきれたのかもしれませんね。これもきっと、彼女達の影響でしょうね」
 『仮面を外せ』と告げにきたクラヴィスの様子を思いだして、ジュリアスは一人苦笑していた。確かに、全てを越えてしまう一瞬というのは、存在するらしい。
「そうだな」
 感慨深く呟いたジュリアスを見て、オスカーはそれ以上を尋ねずに一礼をして執務室を去った。
 執務室を出てオスカーは、こちらへと駆け寄ってくる少女の姿を目にした。
「オスカー様、」
「よう、お嬢ちゃん。御機嫌いかがかな?」
 からかうように掛けられた言葉に、アンジェリークは満面の笑みで応えた。
「最高に素敵な気分です」
 のろけてくれちゃって、と少々苦笑混じりに呟いて、オスカーは優しい眼差しをアンジェリークへ向けた。
「幸せにな」
「はい。色々とありがとうございました」
「礼には及ばないぜ、当然のことをしたまでさ。じゃ、またな」
「はい」
 軽く微笑してオスカーは、ヒラヒラと手を振って自分の執務室へと消えた。
「ジュリアス様!」
 アンジェリークは光の守護聖の執務室の扉を開くなり叫んだ。
「アンジェリーク、良いところに来た。一緒に夕食を取らないか?」
 こちらも待っていたかのように、満面に笑みを浮かべて尋ねる。
「はい」


 夕食の後、アンジェリークはいきなり告げた。
「ジュリアス様、ねがいって、叶うこともあるんですね。私はジュリアス様に出会えて、本当に良かった。ジュリアス様は、私のねがいを叶えてくれる、……天使みたいです」
 唐突な言葉に、一瞬驚いたような視線を向けて、次の瞬間ジュリアスは破顔した。
「私の台詞を取られてしまったな。私こそ、そなたに出会えて良かったと思っている。今までの長い私の時間が、嘘のようだ。後どれだけこの聖地で暮らすのか、誰にも判らない。だが、一つそなたに誓いたい。私が生きている限り、そなただけを愛し続けることを……。私の、アンジェリーク」
 ふわりとアンジェリークを抱き締めてジュリアスは囁いた。
 夢心地のままアンジェリークは、間近に映る端正なジュリアスの顔に見惚れていた。 これからは光輝く貴方と、長い時間を共に歩いていける。
 叶うとは思わなかったねがいが、光に包まれて星に瞬く。その瞬間を、共に見つめていけるのだ。
 重なった唇は、聖なる光との誓約。すべてが叶ったその刹那、月の輝きが一際増した。
「今夜の月は、美しいな」
「そうですね」
 誰よりも輝く彼らの背中の羽を、月は優しく見守っている―――― 
   


Ende.


2004.11.23  天羽りんと

だいぶ昔に友人に捧げたアンジェリーク話です。カップリングはジュリアス×リモージュアンジェになります。オスカーが出張っているのは趣味(笑)