バレントデー
 夜中、カタっと僅かに窓がきしむような音を立てた。
 軽いノックのような音。
 こんな時間にレオニスの部屋の窓から入ってこようなんて人間は、一人しか知らない。
 レオニスは、ほんの一時間ほど前に遠征から戻ったばかりだ。ほっと一息ついたところを狙い済ましたようなタイミングも、彼らしい。
 ふうと一つ大きく息を吐きながら、レオニスは渋々窓の鍵を開ける。
「コンバンハ」
 闇に紛れそうな蒼が、遠慮もなく入り込む。
「また貴方はそんなところから……」
「だって、入り口からだと目立つだろ?」
 大きな図体をするりと滑り込ませて、シオンは平然としている。
「……似たようなものでしょうが」
 シオンならば、目くらまし程度の簡単な魔法をかけることなど、造作もないだろう。狭い窓から出入りする窮屈さと比べたら面倒さは同じように思えるのだが。
「いやー、ここからのが近いしさー」
 へらへらと笑いながら、袋を片手にレオニスに近づいてくるシオンの機嫌はよい。
「で?」
「一緒に飲もうかと思って。いやー寒い中お疲れさん」
 ワインの瓶を取り出しながら、シオンは当然のようにぽんぽんとレオニスの肩を叩く。
「はぁ、任務ですから」
 今日に限ってこのタイミングで現れたシオンの理由を、探りかねている。レオニスの事情を、何か知っているのではないか。そう思わせるような底知れない深さをシオンはいつでも持っているし、知らない筈のことを知られていたとしても彼ならば驚かない。驚きはしないが、はっきりしないとどことなく気持ちの落ち着かないような、居心地の悪さもある。
「久しぶりだし、酒ぐらい付き合ってくれよ」
「それは、かまいませんが」
 その真意はどこにあるのか。はかりかねて目を眇めるようにして見つめれば、シオンは小さく苦笑した。
「なにもねーよ。飲みにきただけ」
「……失礼を」
 シオンは身勝手なようでいて、自分の都合で押しかけてくることが殆どない。公私を分けるような一線を、どこかに引いているようにレオニスは感じる。それは、付き合いが深くなった今も、昔もあまり変わらないように思う。
「いーや。疲れてるとこに悪いかなぁとは思ったんだけどさ、部隊が帰ってくるの見えたもんで」
 言い訳がましく言葉を連ねながら、ちらと伺うような視線を向けてくる。なんというか、怒られるのを待つ犬のような目に、レオニスは苦笑を禁じえない。
「いえ、邪推をしまして」
 シオンに椅子を勧め、グラスを二つ用意した。
 遠征中、一人の部下が大怪我を負った。命こそ助かったものの、今後騎士を続けられるかどうかは微妙だという。レオニスに直接の責任はなく、珍しい話でもない。一々気に病んでいても仕方のないような一件だったが、ついつい考え込んでしまっていた。我が身を省みても、資本の体に何かあったならば、まったくの役立たずだ。それは、怖い気がした。もう失って困るものなど何もないと、ずっと思っていた筈なのに。
 何のために、誰のために、怖いのか。そんなことを考えているから、シオンの目が何かを知っているかのように見えて疑ったのだ。
「ま、日頃の行いが悪いからなァ」
 アハハ、と軽く笑いながら、シオンの注いだ酒は、深い紅色をしている。
「留守にしていたので、何もありませんが」
 辛うじてツマミになりそうな缶詰を開けて、差し出す。
「レオニスの場合、食べることに拘りないもんなぁ」
 ちょっと寂しそうな顔で、シオンは笑った。何が楽しくてシオンは、こんな何もないつまらない男の部屋に来るのか。
「はぁ、すみません」
「いや、俺はいいんだけどさ。もうちょっとこー彩りっつーか、……悪い、余計なことだな」
「いえ、」
「ま、飲もうや」
 困ったような顔で、それでもレオニスに言葉を継ぐ間を与えず、シオンはグラスを勧めてくる。
「はい」  
「お疲れさん」
 軽くグラスを合わせると、その場にそぐわないほど綺麗な音が響いた。シオンが以前持ち込んで、そのままレオニスの部屋の物となったグラスだ。シンプルなデザインだが、かなり高価なものだということは多少は目が利くのでわかっている。
 辛口で渋みの強い癖のある赤ワインも、どう見ても年代物だった。甘くないものが好みな自分のために、シオンが選んだのだろう。
「ありがとうございます」
 気遣われているのは、間違いようがない。頭を下げれば、シオンは慌てたように首を振った。
「いやいや、押しかけてんの俺だし」
 当然のように云って、シオンはゆっくりとグラスを傾けた。細い指先が、慣れた手つきでグラスの足を撫でる。レオニスと二人きりでいる時間を確保しているときのシオンは、至って静かだ。装うことをしないシオンはこんなものなのかと、見慣れない頃は驚いたものだ。
 スローペースで飲みながら、たわいない話をする。低めの落ち着いた声音が、聞きなれたメロディーのように耳に響く。レオニスは、相槌を打ちながら、酒を傾ける。
 夜の騎士団は静かだ。レオニスの部屋には流れる音楽もなく、ただ時折シオンの声とレオニスの声が交錯するだけだ。沈黙も居心地の悪いものではなく、そんなときはシオンも無理に話そうとはしない。飽きもせずに面白みのない室内を見たり、遠慮がちにレオニスへと視線を向けていることもある。それは、何かを訴えるような視線ではないし、いたたまれないようなこともない。不思議なことにシオンと過ごす時間は、苦痛ではなかった。ずっと苦手だと思っていたが、近づいてみればその本質は、さほどレオニスの厭うものではなかった。
 シオンにとってレオニスと過ごす時間に何らかのメリットがあるようには思えなかったが、本人がそれでいいというのならよいのだろう。それを問うことの方が、よほどシオンに嫌な思いをさせるような気はした。
 喉を落ちる酒は、美味だった。ゆったりとした気分に、心地よく流れていく時間。雰囲気に吸い込まれるようにして、ふと意識が飛んだ。一瞬眠っていたのだろうか。見上げればシオンが、思いがけず優しげな目で見ていた。
「疲れてんだろ、悪かったな。そろそろ退散するから」
「いえ、」
 気を抜いていたらしい。いつの間にかこのひとは、入り込んでいるのだな、と気づかされてしまう。これも彼の手の一つだろうか。目を伏せ苦笑しているところへ、ふと綺麗な指先が視界に入ってくる。細長い指先がレオニスの手を捉える。強い力など入っていない。解こうと思えば簡単に振り払えることをレオニスは知っている。シオンもまた、振り払われたらそれ以上はなにもしない。レオニスの許容を待つ姿勢を、基本的に殆ど崩すことはない。
 そんなすべてをわかっていて、逃げようとは思わなかった。
 頤を捉える指先、眼前に端正なシオンの顔。そっと口付けられる。なにかを試すかのような慎重さで触れる唇。口を開くように促され、唇越しに何かが流れ込んでくる。酷く甘い塊だ。シオンの舌も温く甘ったるい。頭の芯まで痺れるようにぼんやりしてしまうのは、眠気のせいもあるのだろうか。ぼんやりと口付けを受けながら、甘さの先に広がる苦味を味わう。
 これは……。その正体に気づいた頃、唇はそっと離れた。

「……バレントデーだっていうからさ」
 照れたように視線を逸らしながら、シオンは小さな包みを放ってよこした。
「チョコレート、ですか」
「あー、一応ビターチョコにしたんだ。甘いの苦手だっていうから」
「……ありがとうございます」
 いらなかったら捨てていいから、とかなんとか言い訳がましくシオンが言葉を続ける。
「今なら、一番に渡せるかと思ってな」
 それで日付が変わるのを待って来たのだろうか。
「なるほど、それで今いらしたんですか」
「ん〜、無事な姿も見たかったしさ」
「はぁ」
「怪我してたら剥いて治そうかと思ってなー」
 へらへらとシオンの声に軽い調子が混じりだす。本音を隠したいときほど、この男はすべてを煙に巻きたがる。
「……必要ありません」
「みたいだな。じゃ、今日は帰るな」
 ひらひらと片手を振りながら、さっさと窓へ向かう。
「もう帰るんですか」
「ん〜居座ると寝かせたくなくなるから帰るよ」
「っ」
 レオニスが返答に詰まるのを見てシオンは悪戯っ子のように笑いながら、窓を開けた。 
「じゃ、戸締りヨロシク」
 来たときと同じような素早さで、あっという間に蒼い影は消えた。お忍びは手馴れたものだ。いつもながらの無駄のない動作に感心しながら開け放たれた窓を閉める。
 ただ、もう鍵をかける気にはなれなかったのだった。

ENDE
2005.02.14 天羽

 相変わらず詰め込み病で、わかりにくくてごめんなさい。一日で書けなかったのが敗因か、がくり。
 中途半端なシリアスでほんと申し訳ないです。一応バレンタインデーものってことで(^^;;)  しかも読み人限定なシオレオでゴメンナサイ……。
 突発的に他ジャンルで自分の書いたネタをパクればバレンタインの話が書けるかも〜って気軽に書き出した筈だったのに、全然違う話になったあげくにバレンタイン要素が薄れ余分なものばかりが増えていってお粗末な出来になりましたことお詫びします。
 自分の中でシオレオの二人の話の流れが色々できているもので、その辺が非常に中途半端に混ざってしまったのがわかりにくいのに拍車をかけているような気がするのですが……なんせ書くの遅いものでネタに手が全然追いつきません。もうひたすらゴメンナサイ。  しばらく載せたら降ろします。耐え難い・・・

02.15追記・勿体無くも美麗な挿絵を頂いてしまいました。ああ、降ろせなくなる〜(笑)。月末までに推敲できたら置いておくことにします(笑)